趣味は引用
町田康『爆発道祖神』(2002)
爆発道祖神
角川書店


 先月出た、町田康の新作長篇『宿屋めぐり』をはやく読みたい(ある友達によれば「筒井の『脱走と追跡のサンバ』に思い切りドライブをかけたような作品」だそうで期待は高まる)んだけど、部屋には買ったまま読んでいない町田康の本が何冊かあるのでそちらから読むことにした。
 
 で、まずは『爆発道祖神』。
 自分で撮った写真と、たぶんそれに触発されて書かれた文章で3ページ。それが72回分ある。ひとつひとつは短いんだけど、何と言えばいいのだろう。
 
 「毎回、混乱している」
 
 そんな紹介があるものか。こういうときこそ引用であろう。
《先ほどから往来に立ち個性を大事にしたいと思っている。
 個性。辞書に拠れば、個人を他の人から区別しうる固有の特性、つまり、例えば、猿と文鎮はこれ、別のものであって、猿には猿の固有の特性があり、文鎮には文鎮の固有の特性があるのである。そのことによって人は、猿を見て、あ猿だな、文鎮を見て、ああ文鎮だな、と思うのであり、そこのところをないがしろにして、猿だか文鎮だか分からないような個性のない猿がいた場合、その猿は机上で文鎮のように使用される可能性もあり、それは猿にとって不快なことだろうし、使用する側にしたって、非常に場所をとるうえに、もぞもぞ動いたり、甚だしい場合に到っては、そこいらで随意に用便するなどして、ちっとも文鎮としての用をなさぬ猿に対して激しい敵意、憎悪、怒りを感じるだろうということはこれ、火を見るよりも明らかなのである。
 こういう不幸を避ける意味でも個性ということは大事で、そういう訳で先ほどから自分は、どうすれば自分を他の人から区別できるか、知恵を絞っているのであるが[…]
「誰とも区別のつかぬ俺が空を見ている。」 p173

 感想を付け足すのも野暮だけど、まず、「往来に立」つ人はいくらでもいるし、それは「個性を大事にしたいと思」う人の場合も同じだが、両者を足して「先ほどから往来に立ち個性を大事にしたいと思」うことができるのは町田康のほかにいないと冒頭から確信させられる。
 つぎの段落も仕組みは似ていて、いきなり「」と「文鎮」を並べていることこそがそらおそろしく、そこから「猿だか文鎮だか分からないような個性のない猿」が飛び出し、その猿が「机上で文鎮のように使用される可能性」にまで言及して「ちっとも文鎮としての用をなさぬ猿」の姿を描き出すのはむしろ論理的な流れでありながら、合間に「それは猿にとって不快なことだろうし」と猿への気遣いを忘れないところがやっぱりただならぬ町田康、と、上の引用をもういちど繰り返していく格好になってしまう。「こういう不幸を避ける意味でも」て。つくづく、すばらしい。
 だいたい、タイトルからして「爆発」と「道祖神」を足しているわけである。どんなわけだ。どうしてそれが足せたのか真剣に気になる。

 このエッセイだかなんだかわからない文章の一群、初出は朝日新聞の夕刊だそうで、連載期間は1998年4月~99年9月と書いてあった。ということは、宮沢章夫の『青空の方法』、あれも朝日の夕刊で連載(99年4月~01年3月)だったから、この2本は半年ほどかぶって掲載されていたことになる。おそるべきは朝日。
 
 あと、こんなものを見つけた。
 放映時期は不明だが、「くっすん大黒」より前なんだと思う(音が出ます)
 「町田町蔵創作の秘密」
   http://www.youtube.com/watch?v=1JjXPuEMOBo
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