2008/09/10

入不二基義『哲学の誤読』(2008)

哲学の誤読 ―入試現代文で哲学する!
ちくま新書

 こないだ竹内康浩『東大入試 至高の国語「第二問」を読んでいて、そういえばわりと最近、似たような本があったよと思った。それがこの本。
 こちらは、大学入試の「現代文」として出題された哲学の文章を、文学部で哲学を教えている著者が本気で考えて設問に答えてみた、という趣向。
 取り上げられる問題の素材は、以下の人たちが書いたものである。
 
 野矢茂樹 「他者という謎」
 永井均 「解釈学・系譜学・考古学」
 中島義道 「幻想としての未来」
 大森荘蔵 「『後の祭』を祈る」

 薄くない新書の300ページ近くを使って読み解かれるのは、この4人の文章に傍線を引いたり空欄をあけたりして作られたわずか4題で、それぞれがせいぜい5ページ程度におさまる1つの問題文+設問に対し、筆者は平均70ページを費やして読解をこころみる。どうかしている。「入試」とか「現代文」とかの周囲にたちこめる、「いまさらそんなもの、ねえ」という雰囲気を払拭するのは、このどうかした情熱である。
《本書の素材は入試問題であるが、あくまでもそれを哲学の文章として読解し、哲学的な視座から読み解く。この点をことさら強調するのは、哲学の文章であっても、入学試験という文脈内では、評論文(あるいは論説文)の一種とみなされて、哲学的な姿勢とは異なる別種の構えで読み解かれるということが、起こるからである。同一の文章であっても、入試という限定されたゲームの中で読まれる場合と、哲学という独特のゲームの中で読まれる場合とでは、違った様相を呈する。
 とはいえ、国語の問題文として解答するために読解することも、哲学の文章として読解することも、同じ「読解」である。[…]
 私は、その連続をたどったうえで、両者の距離を測定してみたいと思っている。あるいは、その両者のあいだを、自在に行き来してみたいとも思っている。》「はじめに」 pp9-10(強調は原文)

 正直、ここのちがい(国語の問題文として読む/哲学の文章として読む)は、あとのページを読んでみても、よくわからない。相手が哲学の文章なら、ちゃんと読めば、それは哲学の文章として読み解かれる、ということか。当たり前である。というか、当たり前のはずである。
 また本書では、いわゆる「赤本」その他、大手予備校の作成した模範解答も俎上にあげられて、その「誤読」が追求されたりもするのだが、目的は揚げ足取りではなく、著者は、解説者たちそれぞれの誤読が生まれた予断・偏見も足がかりにして、問題文によじ登っていく。
「確信犯的に馬鹿をやる」というのはよくある言い方だけど、ここにあるのは「確信犯的に真面目をやる」姿なのかもしれず、一文一文を指でたどるように読む著者は、模範解答の誤読ばかりか、さらには設問の作り方からうかがえる出題者の誤読もえぐりだし、あるいはそこに、自分のしていた誤読もぶつけることで、問題文から可能な限りの意味を引き出していく。
 問題文と対話するためには、何でも利用する。これはやっぱり変な本だと思う。変な本は楽しい。
(野矢茂樹の文章を読むところでは、設問のひとつが「解答不能」になってしまう。そこまでいくとちょっと感動さえするのだが、いちばん多い平凡な誤読は問題文を「人生論」として読んでしまう姿勢から生まれるもので、これは竹内康浩もずいぶん文句を言っていた。竹内本とこちらの本で、いちばん似ているのはそこである)

 本書のあとでは、出題者も、模範解答の作成者も、そしてもちろん受験生も、誤読の地雷原を歩いているように見えてくる。私はもう、今後一生、受験生になることはないはずなので、こんな感想を書いていられる。大人になってよかった。
 著者はこういう本を書いている人でもあるらしく、選ばれた問題のうち3題は時間を扱ったものだった。とりわけ永井均のが面白かったから、著者のものと合わせて読んでみたいと思った。



追記1:
 こないだ書き忘れていた。竹内康浩の本で唯一もの足りなかったのは、著者じしんは例の「第二問」の「解答」を示していないという点で、「第二問」はあくまで出発点だとしても、出発点なんだから最後に戻ってきて200字作文してみせてもいいんじゃないかと思った。もちろん、あれを200字にまとめるのは無理であり、その無理をどうにかする曲芸が見たかった、くらいのリクエストである。「自分でやれ」という話ではある。
 こっちの『哲学の誤読』では、各々の読解のまとめてとして、すべての設問に著者が解答をひねり出しているからその点もばっちりなのだが、エッセンスみたいな答えそのものよりも、そこまで煮詰めていく過程のほうがずっと面白いのはまちがいない(「傍線部のカタカナを漢字にせよ」にまで答えているのはギャグのようにも見えた)。
 だからなんだ、結局、どっちでもいいのだった。

追記2:
 中島義道の文章をもとに作られた問題(早稲田の第一文学部で出題)は、ほかの3題に較べるとずば抜けて簡単にできており、受験生にやさしいんだか逆にきびしいんだか、いかがなものかと思われる。著者も、設問が問題文のレベルと釣り合っていない、と苦言。

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