2008/08/03

読中日記(2)


■ パワーズ『われらが歌う時』は、上巻を読み終えて、いま下巻の50ページくらい。金曜の深夜から、調子に乗って朝6時まで読んでいたら、そのあとちゃんと寝たのに土曜の残りはもうずっと眠くて眠くて、あたまのなかに中途半端に水でこねた小麦粉を詰め込まれたような気分だった。
 上巻の後半は大いに盛り上がり、372ページで終わっていても納得できるんじゃないかというくらいに高揚したが、まだまだ小説は続いていくわけなので茫然とする。一家を見舞う最大の不幸。ジュリアード音楽院。予選と本選。伴奏する「私」と歌う兄の家の外ではローザ・パークスがバスの席に座り、キング牧師もあらわれ、下巻のあたまではロサンゼルスが燃える。いっぽうの過去パートでは父親と母親が出遭い、ヒトラーがポーランドに侵攻する。いやいやいや。音楽を文章で描写するところがたくさんあるわけだけど、たとえば以下のように、どうかしているとしか思えない。
《[…]そこでウィルが頭をぴくっと動かし「それ行くぞ、ミックス!」と言ったと思いきや、いつのまにか、彼の指は底なしの空間へ急降下していった。そして、哀調を帯びた細長いメロディを解きほぐすと、その奥に隠されていた中身を取り出してきた。
 私にはウィルの指さばきが残らず見えたし、彼が築き上げていく音も一つ一つはっきりと聴くことができた。オリジナルの譜面には存在していなかったのだが、しかし、地中海人がいない世界においては存在していてもおかしくない、そんな音結合群をウィルの指が構築していった。ウィルの和音の芯はロドリーゴが元になっていた。しかし、目が見えないあのロマン派作曲家にはこのような和音など思いつかなかったはずだ。ウィルが繰り出す旋律は原曲と根っこのところで繋がっていたが、彼の手は吟遊詩人が作曲したテンポの遅い旋律を別の方角に向けた。曲の軌跡はイベリア半島から遠く離れた土地めがけてねじ曲げられて、大西洋奴隷貿易の航跡を辿っていった。彼はある日の午後いきなり玄関口に姿を現した、自分とまったく同じ目鼻立ちの異母兄弟のように、あの甘ったるい懐古趣味の旋律に正面から対峙した。[…]
 自分でも情けない紋切型のメロディしか演奏できていないということが分かっていた。私は無難な漫画的旋律を求めて左手を伸ばした。ウィルの指からほとばしり出る音楽が黒人霊歌だとすると、私のは寄席演芸だった。ウィルはイベリア半島をぱっくり二つに割り、そこに迷い込んだムーア人を残らず解放していった。私はジブラルタル海峡のまっただ中で溺れないようにしながら砂洲か流木でも見つからないかと辺りを見渡していた。ものすごい音を立てて即興していくウィルは、暗くて入り組んだ場所に入り込んでいった。[…]》上巻、p322-3

 とくべつ大仰に見えるところを選んでみたが、それにしたって「書きすぎ」というか「書けすぎ」じゃないか。そして本当に笑うしかないのは、兄の歌声を描写するところだけど、そっちは切り取って引用するのがむつかしい。あと、父親の時間理論。
《「今」という瞬間が複数存在するなら、「あの時」という時間も複数存在しなければならない。しかし、この日曜日―― 一九四九年春――はしっかりと存在している。私は七歳だ。私が会う前に死んでしまった人々を除いて、私が愛している人たちはまだ健在だ。》上巻、p283

 こちらはまだ何の話かさっぱり。たぶんこれが梃子になって作中の時間の流れがミックスされ、その影響は読んでる私にもおよんじゃったりするんだろうとは思う。


→「工事中の8階から生コン、直撃の会社員大けが」
 この事故、変な言い方だが、事故の発想がおそろしい。「こんなことが起きたら嫌だなあ」という想像がまさしくほんとになったというか。

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