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2008/07/12

のろまな子

■ 先週末からカゼをひいていて、これが治らない。カゼひくことじたい4、5年ぶりで、かえってそれがよくなかったのだろうか。体がカゼの治しかたを知らないような。いまも咳が止まらず、ガラガラうがいをしている最中にも咳が出て、鼻の奥がツンとなってプールに思いを馳せたりしている。水道水でも不思議と同じ感覚がするのだった。
 
■ ゲホゲホいいながら、そろそろ出るはず、と本屋に向かい、たしかに出ていたトマス・ピンチョン『スロー・ラーナー』の新装版(ちくま文庫)を手に入れた。旧版より値段は200円ちょっと上がっている。
 amazonだと書影がないので、筑摩書房のサイトにリンク。どういう表紙だよ、と思ったが、これも旧版と同じく、大竹伸朗の作品を使っている(旧版の表紙も左下で見れる)。
 → http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480424563/

 そもそも『スロー・ラーナー』は、ピンチョンが作家見習いの時代に書いた短篇小説5作(「小雨」、「低地」、「エントロピー」、「秘密裡に」、「秘密のインテグレーション」)に、書き下ろしの序文をつけた本で、原著の出版は1984年、つまり73年に『重力の虹』を出したあと、ながい沈黙を続けていた時期に発表されたわけだから、もう想像するしかないのだが、当時の読者のおどろきと当惑はいかほどのものだったんだろう。結局、小説の新作は、さらに6年後の『ヴァインランド』になった。

 今回の新装版には、あたらしい「解説」がついており、それが(1)高橋源一郎、(2)宮沢章夫、の2本立てだった。どんなサービスかと思った。これは買うだろう。
 もっとも、なかば予想していたが、源一郎氏の解説は、数行の付記はあるとはいえ、『スロー・ラーナー』の単行本が出版された際に筑摩書房のPR誌「ちくま」に掲載されたものの抄録だった。
 これは「ピンチョンのもう一つの顔」という題の名文で、私は『タカハシさんの生活と意見』で読んだのだが、それがきっかけで本屋へ『V.』を探しに行ったのだった。そのご、古本で単行本版『スロー・ラーナー』を買ってみたら、この文章は挟み込みの栞として再録されていたのだから出版社の人もよほど気に入ったんだと思う。すごくやさしい文章なのだ。
 その解説文のなかで、源一郎氏が「『スロー・ラーナー』の最大の読み物」かもしれない、というのは、ピンチョンじしんによる「序」だった(みんなそう言う)。それぞれの作品を書いた当時の空気を濃密に書き込み、自分のもっていた関心とねらいを詳述したうえで、それをいまの目からきびしく批評していく、たいへんに饒舌なピンチョン文体の30ページになっている。
《「小雨」では登場人物たちが大人になるまえのやり方で死を扱っている。彼らは避ける。遅くなってから寝る。婉曲な言い方を探す。死ということを発言するときには、ジョークと混ぜて言おうとする。最悪なのは、それをセックスと結びつけることだ。お気づきになるだろうが、話の終りに近く、ある種の性的な出会いが起こるように見える――テクストから全くわからないことだが。言語が急にあまりに凝ったものになって読むに耐えない。》

《[…]ぼくらはさまざまな方角から刺激を受けていた――ケルアックとビート作家たち、『オーギー・マーチの冒険』におけるソール・ベロウの語法、ハーバート・ゴールドやフィリップ・ロスのそれのような新しい声――それで少くとも二つの全く別な英語がフィクションにおいて共存を許されることを知った。許される! こんなふうに書くことがほんとにOKなんだ! 何ということだ! その効果は刺激的で解放的で猛烈に肯定的だった。それは、これか/あれかの問題ではなくて、可能性の拡大だった。ぼくたちは意識的にいかなる総合を求めて模索することもしなかったと思う――すべきだったかとも思うが。》

《ぼくらは過渡期の一点にいた。文化的時間の奇妙なポスト・ビート的推移である。ぼくらの忠誠を誓う方向は分裂していた。[…]ぼくらは見物人だった。パレードは行ってしまったあとで、ぼくらはすでに何から何までまた聞きで知ろうとしていたのだ。当時のメディアがぼくらに提供しているものを消費するのだ。だからと言ってぼくらがビートの姿勢や小道具を取り入れないということにはならなくて、結局はポスト・ビートとして、アメリカ的価値観についてぼくらがみな信じたいと思っていることを、やはり健全に、立派に肯定する、その確認がいっそう深められるようになる。》

 宮沢章夫の解説は、完全な書き下ろし。「速度の内側から見る世界」という、こちらも不思議な題になっていて、しかし最後まで読めばこの比喩が、どうしてピンチョンの小説は変なのかという素朴すぎる疑問への適切な答えに思えてくる。ピンチョンがロードランナーとワイリーコヨーテのコンビに執着するところに宮沢章夫は注目しているが、この偉大なコンビが登場する小説といえば源一郎氏の『優雅で感傷的な日本野球』であるわけで、あれもまた「速度の内側から見る世界」だったかもしれない。

■ で、その宮沢章夫の「富士日記2.1」を見に行って、唐突な知らせにおどろく(「July. 9 wed.」分)。いくらなんでも働きすぎだったんだと思う。一読者として、ほんとお大事にと思うのだった。「宮沢章夫」の名前も知らなかった私が最初に古本屋で『牛への道』を買ったのはいったいどうしてだったのかわからないが、むちゃくちゃ面白いエッセイじゃないかとおどろきながらどんどんページをめくっていったらとつぜん『重力の虹』の書評が出てきてまたおどろいたのだった。まったく、なんでもかんでもつながっている。
 
■ 『スロー・ラーナー』、訳者である志村正雄の「解説」は旧版にさらに手が加えられているようで、私はこの人の丁寧で生硬な文章が好きだからこれもうれしい。で、中身の短篇はこれから読む。まえに読んだときの印象では、解説で志村氏からいちばんの低評価を下されていた「秘密のインテグレーション」が、私はいちばん気に入ってました。



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コメント

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この日記のどこかに高橋源一郎の失語時代にかなり本を読んでいたことを高橋が告白しだしたと書いてあったのですが、その出典元の文章をUPしていただけないでしょうか?

こんにちは

まず、

> この日記のどこかに高橋源一郎の失語時代にかなり本を読んでいた
> ことを 高橋が告白しだしたと書いてあったのですが、

それはこれですね。
http://outofthekitchen.blog47.fc2.com/blog-entry-281.html

3つめの引用のあとで、

《なにしろ源一郎は、“デビュー前の10年間は失語症状態で、読むことも書くことも一切やめていた”という伝説を作っていた。「かなり読んでいたし、書いてもいた」というのはここ数年での告白である。》

と私は書いてました。
その「出典」ですが、とくべつ「これ」と名指しできるものがあったわけではありません。
初期のころのエッセイに見られた、「ほぼ10年、何も読めないし書けなかった」みたいなエピソードがあまりに強烈で記憶に残っていたのですが、
この人の本をいろいろ読むのにつれて、
とくに、長いこと週刊朝日で連載されていた書評などでの昔語りを通して、
あれはさすがに誇張だったんだなとわかるようになった、くらいのことでした。
(まあそりゃそうだよな、とふつうに納得しました。そして、好きな作家の言うことを真に受けて「伝説」にしていたのは私だろうとも思います)

だから、うえのような書きかたは強引にすぎました。
源一郎が春樹について語ってるよ!というおどろきで勢いがついていたのかもしれません。
ただ、その「文藝」2006年夏号に載っている内田樹との対談は、春樹ショックも含め、デビュー前に書いたものについてもわりと率直に話していて、
ミーハー的には面白かったです。

(20代なかば、吉田健一の文体模写をしていた話で):
《あの頃ってずっとコンスタントに土方をやっていただけではなくて、
 わっと本を読みたくなって、本を読んでいた時期でもあったんです。》

文章でならともかく、こういうことをさらりと口にするようになったのは、この対談あたりからじゃないかと思います。
もっとも、私の知らない発言・文章はきっと山ほどあるので、これも定かではありません。

 (1)あんまり読んでなかった、と言っていたが、それはこの人の基準での「あんまり」だった
 (2)そしてそのことは、「隠していた」というほど秘密にしていたわけでもなかった

これくらいのまとめになるかと思いますが、はたして返答になっているでしょうか。
あと、ご存じかもしれませんけど、ここのラジオ番組のサイトで本人のお話が聞けました。

 「ラジオの街で逢いましょう」:(第23回放送)
 http://www.radio-cafe.co.jp/podcast/2007/11/post_9.html

私も内田タツルとの対談はコピーしました。

吉田健一にはまっていたことは、いぜんから知っていたのですが、高校時代の友人と同人誌作ったりしていたことはその記事を読んではじめて知りました。

彼は2度も結婚し、子供も作って、働き続けていた期間を引き篭もりという風に表現しているのだから、読んでいないといっても読んでいるに違いありません。

ラジオのこと知りませんでしたありがとうございました。


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