2004/04/01

その11 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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「現実とは、自分がそうだと思っていることに過ぎない」のなら、「現実は自分の意図するとおりのものにできる」。
 そうやって自我の塔からの脱出に成功するバロの三部作を見ることによって、皮肉なことにエディパは、脱出の不可能性を悟ったのだった。
 大実業家ピアスが自分をどこまで連れて行ってくれたとしても、やはり周囲の世界はわたしが編んだものでしかない――おそらくは、だから別れた。
 それでも生きていくための方策としてこの部分で提示される案は、「迷信を信じる」(いつか王子様が/神様が…)、あるいは「実用的な趣味を身につける」(それこそ刺繍とか)、もしくは「狂う」、さもなければ「DJと結婚する」、だった。
If the tower is everywhere and the knight of deliverance no proof against its magic, what else? (p12)

《塔がいたるところに延び、解放してくれるはずの騎士に魔法を解いてくれるという証拠がない以上、ほかにどうしたらよいというのか?》p23/p26

 これが第1章最後の文章である。唐突にピアスの遺言が伝えられたとき、エディパはそうやってなんとか日々をやりすごしているところだった。
 これから始まる、ピアスの遺産をめぐる探求は、彼女に何を与えてくれるのか。上の4つ以外に、ほかの何か(something else)は見つかるのだろうか。第2章に続く、と思う。

 それにしても、最初の第1章、12ページに11回も費やすとは思わなかった。


*なお、「大地のマントを織りつむぐ」に描かれた少女-世界-エディパの関係を考える志村氏の翻訳「解注」はそこだけで8ページにおよび、あんまり見事すぎるので全文を引用したいくらいである。
 筑摩版『競売ナンバー49の叫び』(1992)には、バロの絵がきれいな折り込みカラー図版でついており、そのいわば親本であるサンリオ文庫版(1985、ここのA-8a。こんなに集めたのはすごいが、バロの名前を間違えちゃいけないと思います)も、しっかりこの絵を表紙にしていた。これは志村氏の要求によるそうで、聞き入れた出版社もえらかったと思う。これまでに見たことのある4種類のペーパーバックでは、どれもこういう配慮はされていなかった。

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