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その10 ― ピンチョン Lot 49
競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


 問題のバロの作品は、三部作のニ作めである。エディパもまとめて見たと書いてあるものの、作中で他のふたつの絵については言及されていないので、ここにリンクを貼ってしまう。
 まず最初が(1)「塔に向かう」で、ここで連れてこられた少女たちが塔に幽閉され、(2)「大地のマントを織りつむぐ」ことになるのだが、主人公らしきひとりは男と共に(3)「逃亡」する、という展開になっている。
 バロの画集も図書館から借りてきたけれども、結局は志村氏の翻訳「解注」に書いてあった。いわく、世界のすべてを自分が織っていると気付いた少女は、刺繍のなかに「落とし戸」を織りこんで塔から脱出するのだ(上の画像ではちょっと見づらい)。逆転である。エディパにはこれができない。

 まわりの世界のすべてが自分のつくりだしたものに思えてならない。それがエディパの「塔に閉じこもる」状態である。
「いまそこにあるように見える現実は、私がそのようにあると思っているだけのものなんだ」という認識は、はたから眺める限り、それじたいでは毒にも薬にもならないはずだが、そう信じ込んでしまった者には絶望となるだろう。どうか、エディパの陥った苦境を「小学校高学年みたいだ」と馬鹿にしないでほしい。存在に直接かかわるおそれに脅かされることができるのは、そもそも子供だけのはずなのだ。そんな世界観に根拠はない。根拠がないからたいへんなのである。
[…] soon realizes that her tower, its height and architecture, are like her ego only incidental: that what really keeps her where she is is magic, anonymous and malignant, visited on her from outside and for no reason at all. (pp11-2)

[…] まもなく、自分のいる塔が、その高さも、建築様式も、自分のエゴと同じく偶然のものに過ぎないと知る。自分をこの場所に引きとめておくものは魔法、無名の、悪意ある者の魔法で、外から理由もなく襲ってきたものだと知る。》p23/p26

 すべては自分の「内」でしかないと考える人間にとって、孤独の原因は「外」に求められるほかなく、「外」である以上、「内」の自分にはどうにもならない。

…続き
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