趣味は引用
ジャック・ケルアック『オン・ザ・ロード』(1957)
オン・ザ・ロード (世界文学全集 1-1) (世界文学全集 1-1) (世界文学全集 1-1)
青山南訳、河出書房新社(2007、「世界文学全集」I-01)

 この季節、引っ越しのトラックを見かける時期になると、毎年そわそわしてしまう。大学に入った年、新入生を相手にしたアメリカ文学の授業で、ある先生はこんなことを言った。〈移動すること〉と〈ひとつの声の持続〉をアメリカ文学の特色とするならば、ぼくらはいくつも代表作を挙げることができる、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』、サリンジャーの『ライ麦畑』、そしてジャック・ケルアックのOn the Road ……
 
 この小説を読んだのは、去年の11月だったとここに書いてある。こたつを出した日。いま、そろそろこたつをしまうタイミングが気になってきたころに、記憶だけでメモる。
 読みながら気が遠くなっていくような話で、語り手の「ぼく」は、ふしぎな魅力を放つ男、ディーン・モリアーティにひっぱられ、北アメリカ大陸を東から西まで、車でずーっと横断する。たどり着いた西海岸で何をするのかというと、生活の隙を見て、今度は西から東まで、だーっと横断するのである。
 たしか、妻を置いてきぼりにし、金を借り、酒を飲み、二重結婚をし、友達の世話になり、離婚し、迷惑をかけ、よりを戻し、そのようなことすべてを、数回におよぶアメリカ横断の旅の合間合間に、こなしていく。「どういう元気だ」とも、「いい気なもんだ」とも、言えるだろう。なにしろ最後のほうでは、今度は“南”に楽園を求めてハンドルを握り、(たしか)本当に楽園を発見するのである。いい気なもんだ。
 でもその一方で、いわく言いがたい深刻さが貼り付いてもいる。年じゅう躁状態のようなディーンは動いていないと生きていけない風のような人間だが、しかし人間は風ではないので、生活していれば、いろんなものが絡みついてくる。そうなるとますます、居ても立ってもいられない。よし、行くぞ(大陸横断に)。このでかさ、直結ぐあいに笑いそうになる。
 それに、ディーンにひっぱられるとは言っても、「ぼく」のなかではふつふつ煮え立つ“ひっぱられたい欲”がいまにもこぼれそうになっていて、そこにディーンがあらわれるから、爆発的に反応する。おもて向きそう見えないようで、つねにそこにある、ふたりの“やむにやまれぬ感”が、私のような、先週7回の夜のうち6回をこたつで寝てしまったような人間にも、感じられる。たしかそんな気がした。だいたい、語り手「ぼく」の本名が「サル・パラダイス」って、何というかそれは、すでに反則とか奇跡じゃないのか。
(そういえば、あのアメリカ文学の先生が、この「ぼく-ディーン」の関係を、「イシュメール-エイハブ」や、「ニック-ギャツビー」と並べていたのを思い出したけど、要点は忘れた。だいたい当時はこの新訳がなかった)

 いま、もう、作中で起きる出来事をほとんど忘れてぱらぱらめくってみると、どのページも文章の走り方が気持いい。しかもそこには(たしか)、自由そうなふたりも年を重ね、それによりスタンスが変化していくさまもきめ細かく書き込まれていた。なるほど立派な小説であるなあと思った。
 あとは端を折ってあったページから引用。走っている場面は選びきれないので、こんなところから。
《おばは一度、男が女の足元にひざまずいて許しを乞うまでは世界は平和にならないよ、と言ったことがある。でも、ディーンもそのことは承知していた。何度も口にした。「メリールウには何回も頼んだんだ。いろんなすったもんだは放ったらかして、おれたちの永遠のピュアな愛をやさしくわかって平和になってくれよってな――わかってはくれてる。ただ、心がすぐ変なほうに行っちゃうんだな――そして追いかけてくる。おれがどんなに愛しているか、わかろうとしない。おれに呪いをかけてくる」
「ほんとうの問題は、女のことがおれたちにはわかってないってことなんじゃないか。なにもかも女のせいにするおれたちが悪いんだよ」ぼくは言った。
「話はそんなに簡単じゃない」ディーンは警告するように言った。「平和はいきなり来る。だから、来ても気がつかない――わかるか、おい?」決然として悲壮に、やつはニュージャージー州を爆走した。明け方にぼくの運転でパターソンに入ったときは、後ろで眠っていた。》p170

 次は、連日続く友達との大騒ぎで高揚しきったふたりが入ったジャズ・クラブで、ジョージ・シアリングがピアノを弾きはじめるシーン。
《[…]盲目なので、手をひかれてキーボードのところまで行った。ぱりっとした白いカラーをつけた堂々としたかんじのイギリス人で、すこし太っていてブロンドで、最初のせせらぎのような甘いナンバーをかれが弾くや、デリケートなイギリスの夏の夜の気配が漂いだし、ベース奏者がうやうやしくかれのほうに体を屈めて低くビートを繰りだした。ドラマーのデンジル・ベストはじっとしたまま、手首でブラシをぱしぱしやっていた。すると、シアリングが体を揺らし[ロック]はじめたのだ。笑みがいきなり現れてエクスタシーの顔になった。ピアノ椅子の上でさらに体を前後へ揺らし、初めはゆっくりと、ビートが高まると速くなり、左足がビートに合わせて跳びはねた。首がひん曲がりながら揺れ、顔がキーのほうまで下がり、髪が後ろに振りあがり、櫛の入った髪がばらけ、汗をかきはじめた。音楽が動きだした。ベース奏者は体を丸めてぐいぐい弾き、どんどん速くなった、というか、どんどん速くなったように見えた。シアリングがコードを弾きはじめた。それはピアノからすごく豊かな夕立のようにばらばらとあふれてきて、かれにも整理する時間がなかったかのようだった。あふれ、あふれ、海のようになった。客たちはかれに向かって「行け!」とわめいた。ディーンは汗をかいていた、汗が首をつたっていた。「これだよ! これだよ! 神だ! シアリング神だ! いいね! いいね! いいね!」シアリングが後ろの狂人に気がつき、ディーンの溜め息と歓声をすべて聞きとり、目が見えないのにすべてを感じとった。「いいねえ!」とディーンは言った。「いいね!」シアリングがにこりとして体を揺らした。ピアノから立ちあがったときは汗でぐっしょりだった。一九四九年のシアリングの最高にすごい日々、クールのほうにもコマーシャルのほうにもまだ向かっていなかったときのことだ。かれが引っこむと、ディーンは空っぽになったピアノ椅子を指さした。「空っぽになった神の席」と言った。》pp177-8

 あと、このようなすごいサイトを見つけた。
 
 「Jack Kerouac On the Road Map」
 http://ny-ca.net/home.aspx/
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