趣味は引用
ドラクエIII 日記 その4


 歯医者に行く。榎本俊二『ムーたち』第1巻にあふれる名ゼリフのひとつ、
「歯を削られたからといって ごていねいに歯を痛がる必要はないんだぞ」を何十回とリピート。いつもの倍、痛い。

■ 2月13日(水)
バラモス城

・友達B:「ルーラで出られる」 → 「な、なんだってー」というわけで、再度バラモス城。
・「でもどうせゾーマを追ってギアガの大穴に入るんでしょ。長いダンジョンなんでしょ」 → 「誓って言うけど穴はただの穴だ。てか、ゾーマって何のこと? ラスボスは魔王バラモスだって王様も言ってたでしょ?」 → 「ですよねー」
・複数で登場、容赦なくマヒャドを連発してくるエビルマージに苦戦。すぐ瀕死。
・で、バラモス城を探索しているうちに、意外と浅いことに気付く。
・巨体と言うにも大きすぎるバラモスの姿を発見!
・対戦、全滅 → 王様から「死んでしまうとは ふがいない!」との叱責 → コントローラーを投げつけそうになって今日は終了。


■ 2月14日(木)
バラモス城

・「週末にはクリアしたいな」 → 友達B:「土日のみでクリアできると。いい根性だ」
・引き続き城内をうろうろして、賢者にベホマをおぼえさせる。
・はぐれメタルはぞろぞろ出るので別にはぐれてないと思う。
・が、まだ一匹も倒したことがない。
・ゲームやってると小説が読めない不器用な私は、今週は赤瀬川原平の本を『反芸術アンパン』『東京ミキサー計画』と続けて読んでいた。著者たちがやってた1960年前後の芸術活動の記録。正直、どう見ればいいのかわからない。だって、見てないから。“行動を記録する”この2冊にくらべ、今日から読みはじめた『芸術原論』は、“考えてくれる”本だからずっと落ち着いて読める。とはいえ当人は丸くなったわけでもなく、いばらない文章のあちこちに目を見張らされる。たとえばひさしぶりに印象派の展覧会に足を運んで、「絵具を塗ることが一番楽しかったのは、やはり印象派の人々ではなかったかと思う」という考察が以下の引用。どうしてこんなことをこんなに簡素に書けるのか。

《キャンバスにはいちおう風景や人物というものが描かれてはいるけど、それはただ絵具を塗る快感のための手続きである。それを塗る快感の残した痕跡が、結果として絵になっている。そう思えて仕方がない。だってそこに描かれているものは、何でもない風景ばかり。何でもない静物や人物ばかり。
 そのあとの「近現代」の絵画というのは、印象派と同じことはしていられないというわけで、テーマや工夫ばかりが開発されて、自意識が絵具の外に丸出しになってくる。思えば印象派の絵には、自我の蒸発という感覚さえ味わわされて爽快である。現代美術に魅力的な絵があるとすれば、それは必ず印象派の絵具と命脈がつながっているはずである。》pp72-3

 ここから勝手に「自我なんてつまんないから風景を描け」(大意)という保坂和志の主張を連想したが、それは小説の話。
 では小説はというと、私は赤瀬川原平=尾辻克彦の『肌ざわり』『父が消えた』を愛好するものなので、保坂和志ならこれらについて何と言うのか聞いてみたい。
・なんの話だ。


[その5] [その6] [その7]
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック