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ミルハウザー『ナイフ投げ師』 2/3

以下、各短編について。

「ある訪問」
 語り手が旧友からの招きを受けて山奥を訪れる。ありえないものを綿密な書き込みでありえるものにしてしまう、という意味ではほかの短篇と同じだが、これだけ毛色がちがって感じられるのは、描かれる対象が生物だからか。本当に大事な区別はたぶんそこではないのに。生物に対する思い込みは意外に頑固だと思った。


「夜の姉妹団」
 十代の女の子が連れ立って、何かよからぬ儀式をしているらしい。“沈黙の掟”のために真相は見えず、大人たちは噂と推測に翻弄される。最初の「ナイフ投げ師」をちゃんと読むまでは、別のアンソロジー(→これ)で読んでいたこの作品が、この短篇集でいちばんのお気に入りになると思っていた。もちろん面白いのはまちがいない。ミルハウザーは静かに変態である。


「出口」
 不倫現場を見つけられた男に、相手の夫がしたことは。わりと普通の話だが、執念深い夫より、親切そうに見える仲介者の方が不気味。地獄への道は善意で敷きつめられている(?)。


「空飛ぶ絨毯」
 空飛ぶ絨毯にかこつけて、子供のころの夏休みを描く。と見せかけて、空飛ぶ絨毯からのみ開ける視界を、五感を尽くして作りあげる。想像力の冒険。ミルハウザーは子供心を忘れない変態でもある。


「新自動人形劇場」
《[…]私たちの芸術は、基本的に模倣を事とする。ひとつ進歩が遂げられるごとに、生の領域をまた一歩侵したことになるのである。私たちの自動人形を初めて目にする訪問者は、そのいかにも生きているような様子に圧倒され、不安を感じさえする。人形たちがまさに考え、息をしているように見えるからだ。》p119

 そもそも、“背丈15センチの自動人形による劇が名物である市”(なにしろ劇団は子供向けから大人向けまで数知れず、各劇場で行なわれる公演の総数は1日で100を越える)という前提がありえないはずなのだが、なかでもいちばんの名匠の超絶技巧と、その発展の過程を思想的な面から考察する、という屋上屋を架す設定によって、逆に何だってありえるように見えてくる。というか、本物と嘘の区別がなくなる。しびれた。
《最近では、グラウムは大人の劇場を捨てて心の故郷たる児童劇場に回帰したのだという説が流行している。言わせてもらえばこれはとんでもない誤解である。児童劇場の人形たちは架空の生き物の模倣である。グラウムの人形たちは何の模倣でもない。彼らは彼ら自身でしかない。竜は存在しない。自動人形は存在する。》p136


「月の光」
 15歳の夏、眠れなくなった「僕」が家を抜け出すと、起きているのは同じクラスの女の子4人で―― 「夜の姉妹団」とあわせて、ミルハウザーの不健全な健全さ(健全な不健全さ?)がよくわかる。中篇Enchanted Night の試し書きみたいな話(実際に書かれた順序は不明)。


「協会の夢」
 20世紀前半を舞台に、実在しそうな百貨店の、ありえない発展を追う。長篇『マーティン・ドレスラーの夢』を短篇に仕立て直したような作品。密度は十分以上で、なにしろ、これでもまだまだ発展途上の段階である。
《たとえば造園売場に突如現れた凹室[アルコーブ]には、小川、水たまり、滝を売る店が設置されていたし、十四階の男物帽子売場と小間物売場のあいだには洞窟やトンネルを売る陰気な売場があって、洞窟の壁にしつらえた蛍光灯が岩石の累層に紫がかった光を投げ、小奇麗なラベルを貼った鍾乳石、流れ石、洞窟珊瑚、くねくねよじれた枝状鍾乳石から値札が下がっていた。そして、さらに謎めいた売場が、ナイトテーブル、ほの暗く光るランプ、めくられたベッドカバーの下に見えている花柄のシーツ、アーチ型の天蓋と厚手のカーテンに覆われた四柱ベッドから成る穏やかな茶色い世界の向こうに広がっていた。》p164

 百貨店には何だってある。描写の鬼・ミルハウザーがたびたび百貨店を舞台にするのは、視点の実験に精を出す高野文子が『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事』でデパートを舞台にしているのと何か重なる部分があるのだろうか、と書いてみたが、“たくさん物がある空間”で説明は十分な気もした。


「気球飛行、一八七〇」
 この短篇集を真ん中で折り返したとすると、ちょうど前半の「空飛ぶ絨毯」に対応するあたりにこの短篇が来る。プロイセン軍に包囲されたパリから、気球で飛び立つ語り手。任務は後方でレジスタンスを組織すること。下方に広がる風景の描写は、あまりに映像的すぎてぜったい映像化できないものになっていると思う。


「パラダイス・パーク」
 ふたつ前の「協会の夢」が百貨店の神話なら、こちらは遊園地の神話。ディテールはこの短篇集でも最高濃度を誇り、さまざまなアトラクションが惜しみなく描写される。まちがいなく馬鹿である。
《パンフレットなどによれば、〈アドベンチャー〉とは乗り物ではなく丹念に再現された実体験であり、十セント払うだけで人は〈暗い森〉に入って盗賊の一団に襲われることもできれば、〈リスボンの街〉に足を踏み入れてかの有名な地震を体験したり、〈昔日のアルジェリア〉をさまよって怒れるムスリムたちに取り囲まれてズダ袋に入れられて縛りあげられラクダの背中に乗せられて運び去られ眼下で荒波の打ち寄せる崖から吊り下げられたりもできる。》p201

 野心的な経営者によって遊園地は地下へ広がり、人工の海まで備えもつ(地下なのに!)。雪崩をうってあらわれる豪華絢爛な小ネタ大ネタを描くだけでなく、この過剰な遊園地への分析まで含めて小説になっているのはいつもの通り。
《ジャンプするジェットコースター、転がる観覧車といった新機軸は、技術的にはむろん興味深いが、こういうものが出てくると、従来の伝統的な乗り物に人びとが飽き足らなくなってしまう恐れがあり、彼らの胸のなかに、なおいっそう極端で危険な興奮を求める不健全な欲求を引き起こしてしまうのではないか。ここにおいて、技術は倫理に関わる問題となる。》p215


「カスパー・ハウザーは語る」
 青年になるまで監禁されていたらしいカスパー・ハウザーが、ニュルンベルク市民の前で演説する。この短篇集をここまで読んでくると、これくらいの話は「むしろ地味」と感じてしまうところが興味深い。カフカの「ある学会報告」風でもある。


「私たちの町の地下室の下」
 私たちの町の地下室の下には地下通路がある、という話。その歴史とはたらき、住民への影響を真面目な顔で論じ、よその人びとからの的はずれなからかいに粛々と抗議する。押さえた筆致、ツボを押さえたくすぐり、冷静な屁理屈。語りは当の地下通路のようにくねくねと伸びていく。


訳者あとがき
 ミルハウザーの読者が共通して抱く思いのいくつかを、簡潔にまとめてくれているので項を立ててみた。いわく、
《ほかの読者はついて行けなくなっても、閑散とした劇場に通いつづける作中の崇拝者と同じように、自分だけはどこまでも師[ミルハウザー]について行く、みんなそう思っているのだ……》p279




ナイフ投げ師ナイフ投げ師
(2008/01)
スティーヴン・ミルハウザー

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