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2008
《「何おめでてえ? 正月でおめでたけりゃ、御めえなんざあ年が年中おめでてえ方だろう。気をつけろい、この吹い子の向う面め」吹い子の向うづらという句は罵詈の言語であるようだが、吾輩には了解が出来なかった。「ちょっと伺がうが吹い子の向うづらと云うのはどう云う意味かね」「へん、手めえが悪体をつかれている癖に、その訳を聞きゃ世話あねえ、だから正月野郎だって事よ」正月野郎は詩的であるが、その意味に至ると吹い子の何とかよりも一層不明瞭な文句である。》p50

 あけました。
 元旦の読売新聞で川上弘美の文章を読み、雑煮食べながら泣きそうに。

『ラブレー第二之書 パンタグリュエル物語』を読み終えたあと、『第三之書』を読み始めるまでは更新しないと固く心に誓ったわけではぜんぜんないのに、12月は結果的にそうなっていた。
「結果的にそうなっていた」というフレーズの放つ濃厚で甘美な香りはともかく、実家に帰ったりしてました。大晦日から正月2日までかけて、夏目漱石『吾輩は猫である』をまた読んだ。読むたびに短くなる。最初の引用はそこから。上の正月シーンには、《主人は正月早々弔詞を述べている。》という奇妙に味わい深い一節もあった。
 弔詞といえば2007年にはヴォネガットも死んでしまったが、数ある作品のなかで最もなりふりかまわぬ(かまっていられない)ところまで行った『チャンピオンたちの朝食』を含む、絶版だった文庫がいろいろ復刊されたらしい。紀伊國屋書店のこのようなはたらきかけの一環だそうで、とりあえずレムは買おうと思った。

 あと何だろう。そうだ、帰省したとき眼鏡を替えた。
 実家の姉が眼鏡&コンタクト屋で働いていて、家族の分も社員割引が使えるからこの年末にぜひ眼鏡を買い替えろ、いっそお金はあたしが出す、と執拗な催促。私は高校のころから銀縁の丸い眼鏡をかけ続けてきたのだが、行ってみたお店には丸いフレームなんか1本もなかった。なので不本意ながら、2008年は丸くない眼鏡をかけて始まった。かけてる当人にとってフレームの形など何の関係もないし、加えてレンズの度も上げたので、快適で仕方がない。それと同時に一抹のうしろめたさを感じる。何かはわからないが、何ものかに向かって謝りたい。まず姉か。
 今日、帰京する電車に乗る前に本屋へ寄ったら、「本が小さい」ので驚いた。こういうことかと思われる。本の表紙に書いてある文字を読むために、これまでほど目を近づけなくてもよくなった→本のサイズがまだ小さく見えている距離で本を本として認識→「本が小さい」。

 世界は発見に満ちている。本年もよろしくお願いします。
《「しかし死なない以上は保険に這入る必要はないじゃないかって強情を張っているんです」
「叔父さんが?」
「ええ、すると会社の人が、それは死ななければ無論保険会社はいりません。しかし人間の命と云うものは丈夫なようで脆いもので、知らないうちに、いつ危険が逼っているか分りませんと云うとね、叔父さんは、大丈夫僕は死なない事に決心しているって、まあ無法な事を云うんですよ」
「決心したって、死ぬわねえ」》p432


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