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2007/12/11

「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を読んでみる その77


[前回…]

 最近は夜な夜なささやかに鍋をしているのだが、スーパーでは春菊の値段が毎日ちがう。ラジカルな春菊。大人になってよかったと思うことのひとつが「春菊がおいしくなった」なので、落ち着いて食べたい。

 パンタグリュエルは、無可有郷[ユトピー]国の軍団を引き連れて乾喉[ディプソード]国へ入っていく。無可有郷国にも不破見[アモロート]人などいろんな民族がいたように、乾喉国にもさまざまな民族がいるらしい。そのほとんどは進んで市門の鍵を開け、この巨人王を歓迎した。ただひとつ、塩漬[アルミロード]人だけは抗戦の意を示すので、ここにまた戦いがはじまる――

 といったところで、大雨が降ってきた。普通サイズの人間である家来たちがびしょ濡れで震えているので、巨人・パンタグリュエルはべろりと舌を出し、その陰にみんなを雨宿りさせてやる。「都合のいいときだけ巨人になる」という、この物語のルーズな魅力の発現である(参考:→その20
 とはいえ『第二之書』のパンタグリュエルは、『第一之書』のガルガンチュワとちがってだいたいつねに巨人として描かれていたわけだが、それにしたってここでは「サイズ、でかすぎ」とは言えるだろう。しかしパンタグリュエルの大きさは、まだまだこんなものではなかった。
 語り手である「私」もこの庇の下に入ろうとしたところ、すでに人で一杯で、立錐の余地もない。
《そこで私は、苦心したあげく、パンタグリュエル王の舌の上へ登り、それからたっぷり二里ほど歩いて行ったところが、とうとうその口のなかへ入ってしまったのである。》第32章 p231

 これで終りではない。馬鹿話はここから始まるのである。
《コンスタンティノープルのサント・ソフィヤ寺院のなかを歩くようにして進んで行くと、これはパンタグリュエルの歯だと思うのだが、デンマーク国の岩礁のような大きな岩が見えたし、その外側に広々とした牧場や、大きな森や、リヨンやポワチエに劣らぬ大きさの、がっしりした豪壮な町がいくつも見えたのである。》

 でかすぎである。しかも、「牧場と町が見えたということは、もしや」と思っていると、案の定――
《最初に会ったのは、玉菜を植えている一人の男だった。これを見て、私はすっかり仰天してこう訊ねた。
 ――君、そこで一体何をしているのだい?
 ――玉菜を植えてますのさ。(と相手は言った。)
 ――だが、なぜさ、またどうしてさ?(と私は訊ねた。)
 ――やあ、どうも旦那、(とその男は言った、)誰でもが、石臼みてえに重いきんたまさげて、のらくらしているわけにはゆきませんわい。》pp231-2

 巨人の腹のなかに(というか、ここはまだ“口のなか”なのだが)もうひとつ町があった、というだけの話であれば、まだしもおさまりがつく。特記すべき点は、おそらくふたつある。

(1)この口内の町の住人は、外に別の世界があることを知っている
 上で「私」と話している農夫が、ごく普通の口調で「外の世界もいいところらしいけど、こっちの方がずっと古いよ」などと言う。“ごく普通の口調で”言うのが、あまりにずるい。

(2)進めば進むほど、大きくなっていく
 「私」は、農夫が玉菜を売りに出す市が奥にあると聞いて、さらに進んでいく。たぶん調子に乗っているラブレーは、どんどん枝葉を付け足し、話をでかくしていく。すなわち、パンタグリュエルがでかくなる。これをただ「悪ノリ」と片付けてしまうのは片手落ちだと思う。スケールを大きくすることで、なんだろう、ラブレー自身の想像力も拡大繁茂していくさまが見て取れるように思われるのである。
《さて町へはいって行ったが、壮麗だし、実に岩乗な作りだったし、典雅だった。しかし、市門のところで、門番が健康証明書を見せよと言ったので、すっかり仰天し、こう訊ねた。
 ――ここいらで黒死病でもはやっていて危ういのですか?
 ――いやどうも、旦那、(と門番たちは言った、)この近くで沢山の死人が出ますんでね、死骸運搬車が町中を走りまわっているような始末ですよ。》p233

 (1)にしても(2)にしても、このへんは、あきらかに何かの底が抜けている。サイズの整合性とか話の辻褄だとかいった小さいことはその抜けた穴から落っこちて、もっとずっと深いところから、「何でも、あり」と言っているような馬鹿笑いが響いてくる気さえする。ただし、ここで実際にパンタグリュエルの体内の深いところから漂ってくるのは消化途中のニンニクの悪臭で、それによってばたばた人が死んでいるという、さらにどうしようもない説明が続いているのだった。

 避難するようにして口元のほうを歩きまわった「私」は、歯の上に見つけたうつくしい楽園で御馳走をいただきながら別荘に《満四カ月も滞在した》り、強盗に持ち物を奪われたり、かと思えば、唇の裏側にあった村では、《生活のために少しばかり金も稼いだ》。なんだかいろいろ参りました。
《[…]我々の世界に山の此方彼方の国々があるように、この地方にも歯の此方彼方の国々があることが判ったしだいだ、しかし、歯の此方側のほうがはるかに気持が良いし、空気もよろしい。
 そこで私は、こう考え始めた、地球のこっちの半分に住んでいる人間どもには、向うの半分でいかなる生が営まれているのか判らないとある人が言ったが、これはほんとうの話だ。何しろ、この国については、まだ誰も記録を残して居らないのだからしかたがないが、この国には、砂漠や広い海峡は別としても二十五以上の王国があって、人がこれに住んでいるのである、と。しかし、私は、この国について、『咽喉人種物語[イストワール・デ・ゴルジャス]』と題する尨大な著書を編んだが、この国の人々をかく呼んだのは、我が主君パンタグリュエルの咽喉のなかに住んでいるからではある。》pp234-5

 ここの部分、2段落めは、繰り返し読むほどに文章が行ったり来たりする感じがあって要領を得ないが、そんなのは些細なことだ(あるいは、ここでの行ったり来たりは、「私」の探検の行ったり来たり感を念押しするものか?)。
 パンタグリュエルは、でかかった。これをもって本日のまとめにする。

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