趣味は引用
「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を読んでみる その75

[前回…]

 謎はすべて解けた。
 乾喉国の敵兵をすべて追い払った(殺した)ので、パンタグリュエルは不破見の町に入る。住民はみんな大喜びで彼らを迎えた。そこでパンタグリュエルは宣言、《乾喉人王国全土を政略占拠いたしたいと存ずる。》
《[…]この町には住民の数が多すぎて、街で後戻りもできかねるようにも見受けられる。
 従って、一同を乾喉国へ植民として伴い行き、全国土を与える心算だが、諸君のうちの何人かが昔これに赴いて熟知されて居る通り、世界のいずれの国よりも麗しく、健康に適し、地の恵みも豊かで、楽しい国土である。》第31章 p226

 これでもってようやく、私が「その61」「その69」で引っかかっていた、“パンタグリュエルは無可有郷国の王子なのに、題字には「乾喉人国王パンタグリュエル物語」と書いてある”事情がわかったのである。やっぱり占領したのだったね、と書いてみて、「いや、でも、パンタグリュエルの父・ガルガンチュワの活躍を描いた『第一之書』で、すでに祖国の名は乾喉国になっていた気がする」との思いがよぎったのであるが→その28、それは結局、『第一之書』より、この『第二之書』の方が先に書かれた、という事実で飲み込むしかない齟齬なのかもしれない。
《この意志と決定とが町中に伝えられると、その翌日、王宮前の広場には、婦女子及び幼児は除いて、百八十五万六千十一人の数にのぼる人々が集まった。こうして一同は、一路乾喉国へと進撃を開始したが、実に隊伍整然たるものがあり、紅海を渡ろうとしてエジプトを出た折のかのイスラエルの民草にも似ていたしだいである。》p227

 莫大な人数を記すときに《婦女子及び幼児は除いて》と付け足すのは、もうお約束のようなものである(「その16」とか「その23」とか)。今回、ちゃんと註を見たら、これは聖書に元ネタがあるという。それで指示通りに「マタイ伝」の第14章を開いてみた。

 ――イエスが群衆を引き連れて歩いていると、夕暮れになる。晩ごはんの時間だ。弟子が「もう解散させましょう。そうすればみんな自分で食べ物を買いに行くはずです」と言うと、イエス答えていわく、「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい」。「そうおっしゃられても、ここにはパン五つと魚二匹しかありませんが」「それをここに持って来なさい」。
 そしてイエスが天に祈りながら五つのパンと二匹の魚を裂いて群衆に渡していくと、渡しても渡しても食べ物はなかなか減らないのだった。
《すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。》14:20 (新共同訳)

 なるほどここが出典だったか。しかし思ったほどの感慨はなかった。それはもしかすると、これの次の行から始まるエピソードの題が「湖の上を歩く」なのが目に入るからかもしれない。大技が続くのである。
 それよりも私は、この減らないパンの挿話から、叩けば叩くほどビスケットが増える、奇跡のポケットを思い出した。有名な童謡のはずだが、いま書こうとして、自分があの歌のタイトルを憶えていないことに気が付いた。もともと知らなかった気もする。
 それでググってみたら、あれは「ふしぎなポケット」というのだとわかったが、「残ったビスケットの粉を集めると、十二のポケットいっぱいになった」とか考えつつ、ここのリンク先(音が出ます)を見てはじめて、あの能天気そうな曲の後半の歌詞を知り、大変に同情した。というか、同意した。
 せっかくだからもうひとつリンク。これ。夢のない検証に見えて、実際に検証してみるところに夢がある、とかいうのは野暮である。ここで使われている菓子のなかでは、東ハトのハーベストを私は支持する。ここでは「セサミ味」だが、とくに「バタートースト味」がおいしい。東ハトはいつも私を裏切らない。ハバネロはいわば東ハトの放蕩息子だ。いつか改心する。

 で、私はなぜ机の上に聖書を開いてビスケットの話をしているのか。

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