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「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を読んでみる その74

[前回…]

 敵の人狼をぶち殺し、乾喉国の巨人軍団をひとり残らず殲滅したパンタグリュエル。しかしこちらも無傷ではなかった。忠実な家来だった、エピステモンが戦死していたのである。
《それは、パンタグリュエルが荒砥石で一分の隙もなく武装した腸詰齧[リフランドウイユ]という名の巨人を打ち倒した時のことであり、この荒砥石の破片が、ばっさりとエピステモンの首を切ったからである。》第29章 p212

 エピステモンの死体は、両腕に血塗れの首を抱えた状態で見つかった。
 とばっちり、という感がなきにしもあらずであるにせよ、パンタグリュエルはじめ、みんなで大いに悲嘆にくれていると、ここにまたパニュルジュが口を出す。このお調子者は、「直せる」というのである。
《――もし私に直せませんでしたら、この素首をさしあげますよ。(これは気違いのする誓言でございますがね。)――そんなにお泣きにならずに、手伝いでもしてくれませな。
 それからパニュルジュは、エピステモンの首筋と頭とを上質な白葡萄酒ですっかり洗い浄め、いつも隠[かくし]の一つに入れておく雲呼華粉[デイヤメルデイス]の芥子泥を塗りつけた。それから何か知らぬが脂薬を塗り、血管と血管、筋と筋、椎骨と椎骨とがぴったり合うように、頭と首とを継いだが、エピステモンが殊勝げな小首傾げ野郎になっては困ると思ったからである。(と申すわけは、パニュルジュはそういう連中を死ぬほど嫌いだったからだ。)これがすむと、頭がまた落ちるといけないというので、首のまわりを十五、六針縫って、それから、その上にぐるりと、自ら蘇生薬と呼んでいた脂薬を少々塗りつけた。》第30章 p214

 で、たちまちエピステモンは復活する。人間が生きものの生き死にを自由にするのは、このようにおこがましいのだった。医者は何のためにあるんだ。

 あっさり死んで、あっさり生き返ったエピステモンだったが、じつはこのあとが長い。というのは、ここらから先、彼の臨死体験が縷々述べられるからである。何がそんなに長いのか。まず地獄の一丁目で悪魔から歓待を受けていたエピステモンがふと見ると、地獄に堕ちた有名人の姿がたくさん目に入る。その様子があまりに面白かった――といって、7ページほど、箇条書きに近い人名の羅列が続くのである。
 たとえば、あのアレクサンデル大王は《おんぼろの洋袴の継ぎ接ぎをしながら、それで暮らしを立てている》し、ローマを建国した兄弟の片割れ、ロムルスは食塩売りになっている。キケロは鍛冶屋の火掻き男。そんな具合で、生前に偉人だったり権力の座についていた大人物であればあるほど、死後は地獄でみすぼらしい境遇になっている。そういうルールがあるらしい。そしていま気付いたが、死後の世界=地獄、というのも偏ってはいないのだろうか。
 もっとも、ハンニバルは鶏卵屋、アキレスは麦藁束ね、くらいならともかく、並ぶ名前の大多数は私にわからないものなので、残念ながらほとんどのギャップはギャップとして感知できない。とはいえ、《ネロは琵琶法師となり、》という一行はあまりに暴力的だと思った。あと、なぜか何人かの人物は、前のほうで名前が出ているのにうしろで再び馬鹿にされるなど、細かいギャグなのか無意識の産物なのか、それとも改版のたびにあらたな人名が付け足されていったがゆえの不備なのか、さっぱりわからないのだった。なるほど地獄めぐりは奥が深い。
 そして逆に、現世で一文無しだったり、哲人だった人間は、あの世ではぐっと身分が上がっていた。
《ディオゲネスに会いましたが、猩々緋[しょうじょうひ]の豊かな長衣をまとい、右手には王笏を持ち、威風堂々として歩き回って居りまして、アレクサンデル大王がこの哲人の洋袴の修繕をきちんとしない場合などには、さんざんに毒づいて大王を気違い犬のように逆上させてしまい、代金だと言って棍棒でぽかぽか殴りつけて居りましたよ。》p221

 参考までに、生前の2人(→画像)。

 エピステモンの話はまだまだ続きそうだったが、家来の蘇生を喜ぶパンタグリュエルでさえ「さすがに長い」と思ったか、「また次の機会に」とストップをかけ、そして一同は、もちろん酒宴を開くのだった。

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