2007/12/01

「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を読んでみる その73


[前回…]
《これに怒り猛った人狼[ルウ・ガルウ]は、パンタグリュエルめがけて例の鉄棍を振りおろし、その脳髄を打ち砕こうとした。しかし、パンタグリュエルもさる者だったし、常に足さばきは機敏、目配りにも油断はなかった。従って、左足を一歩後に引いて体をかわしたのだが、無念や鉄棍がずんとばかりに腰の塩樽に当り、樽は四千八十六もの破片になってけし飛び、残りの塩を地上にぶち撒いてしまった。
 これを見たパンタグリュエルは、力をこめて双の腕を伸ばし、鉞[まさかり]を使うようにして、例の檣[ほばしら]の根元を敵の乳房の上あたりにぐさっと突き刺し、左へ引きまわすようにして檣を抜き出してから、首と肩との間に強打を加えた。次いで、右足を踏み出して進みより、檣の先端をふぐりにずぶりと刺したので、檣楼は砕け、まだそこに残っていた三、四樽の葡萄酒はじゃあじゃあ流れ出るという始末となり、そのために人狼は、てっきり膀胱を剖かれたのだと思ったが、流れ落ちる白葡萄酒を見て、自分の小便が溢れ出したのだと考えたからである。》第29章 p208

 おお、ラブレーがアクションを書いている。
 つらつら思い出してみるに、『第一之書』でも、ジャン修道士家来ジムナストの活躍など、アクションを描いている場面はあった。しかしそれらが、戦いというより虐殺だったのに対して、いま行なわれているのは一騎討ちである、という違いのためか、ここでの描写は初めて見るような詳細なものになっている。
 この2人はどちらも巨人なので、得物を振りまわすだけでも、動作は大きいはずである(何しろパンタグリュエルが持っているのは船の帆柱だ)。巨人の一挙手一投足を、端折らず丁寧に書いていく。そこから、スローモーションやコマ送りというのとも違った、何か悠々とした印象が生まれているように思う。一言でいえば「細かいわりにスケールがでかい」というだけだが、本来あってしかるべき迫力よりも、変にユーモラスな雰囲気のほうが、このあたりでは多めに感じられるのだ。おかしな戦いである。
《[…]パンタグリュエルが間髪を容れぬ早さで身をかわしたので、鉄根は右に外れ、大きな岩根を貫いて、そのまま地面へ七十三尺以上も深くめりこんでしまい、そこから九千六個の樽よりも更に大きな火の玉が迸[ほとばし]り出た。
 岩根に挟まれたまま地中に埋まった鉄根を引き抜こうと、人狼が手間どっているのを見たパンタグリュエルは、馳せよって、ぽんとばかりにその首を打ち落とそうとした。ところが、不幸にも、パンタグリュエルの檣が、一寸ばかり人狼の鉄根の柄に触れてしまったが、この鉄根は、(前にも申した通り、)妖気を帯びていたのである。
 そのために、檣は拳から三寸ぐらいのところでぽきりと折れ、パンタグリュエルは、鐘を鋳出し損ねた鐘鋳造師以上に茫然自失して叫んだ。》p209

 人狼の鉄棍は岩から抜けないし、パンタグリュエルの帆柱は折れてしまった。再度襲いかかってくる人狼の攻撃をかわしかわし、ついにパンタグリュエルの蹴りが勝負を決める。
 渾身の一撃を腹に受けた人狼がひっくり返り、血を吐きながら「マホメット、マホメット、マホメット!」と叫び声をあげると、家来の巨人たちが駆け寄ってくる。それまでパニュルジュたちと仲良く酒を飲んでいたくせに、隊長の大ピンチ、かつ、パンタグリュエルには武器がないのを見てとって、加勢するのである。しかしパンタグリュエルは、当の人狼の巨体をぶん回し、それでもって巨人の群れを次から次へと打ちのめす。その様子は、あたかも大鎌(人狼)で牧場の草(巨人たち)を刈るようだった、と書いてある。で、なぎ倒された巨人たちの喉笛を、これはパンタグリュエルの家来たちが掻き切ってまわる。ひとりも逃がさない。
 さっきまで「悠々」「ユーモラス」と思って読んでいたのに、2ページ足らずで一転、凄惨な皆殺しの現場に私は立ち会っていた。結局、虐殺なのである。
《最後に、パンタグリュエルは敵兵が全部死んでしまったのを見届けると、満身の力を振るって人狼の体を町めがけて投げつけたところが、死骸はこの町の目抜きの広場へばちゃんと堕ちて蟇蛙[がま]のように匍いつくばってしまい、上から落ちてきた際に、焼け焦げ牝猫を一匹と、野雁の雛を一羽と、嘴に棒を通した鵞鳥の雛を一羽とを殺してしまった。》p212


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