--/--/--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2004/04/01

その3 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次


 遺言の執行などしたことのないエディパには、何から手をつければいいのかわからないし、この通知を送ってきた法律事務所に「わからない」と伝えるにはどうすればいいかもわからない。そもそも、どうして自分が指名されたのか? 何ひとつわからず、彼女ははじめから「勝負をおろされた」と感じる。

 そこに夫のムーチョが帰宅して、妻の話も聞かずに愚痴りはじめる。
 かつて中古車販売店に勤めていたムーチョは、中古車の意義を過剰に信じており、そのころ生まれた強迫観念がいまだにぶり返して当人とエディパを悩ませている。というのもムーチョには、自分より貧しい白人・黒人・ヒスパニックが売りに来るボロ車が、彼らの人生そのものの延長であるように見えてしまったからだ。
 車の内部に散らかっているのは持ち主の生活の残りかす、ゴミなのか単に紛失したものなのかは区別がつかない。何より痛いのは、持ち主たちがそんな自分の分身を、同じように別の人間の人生が投影された別の中古車と交換してゆくやり方で、ムーチョに言わせるなら、これは終わりのない近親相姦なのだった。
 廃車処理場ならまだよかった、というのが面白い。
the violence that had caused each wreck being infrequent enough, far enough away from him, to be miraculous, as each death, up till the moment of our own, is miraculous. But the endless rituals of trade-in, week after week, never got as far as violence or blood, and so were too plausible for the impressionable Mucho to take for long. (p5)

《車を押しつぶした暴力もしょっちゅうではないから、身から離れたところで起きた奇跡みたいなものだ。ひとりひとりの死が、自分の番になるまでは奇跡のように見えるのと同じことだ。ところが果てしなくつづく下取りの儀式は毎週毎週、暴力や流血にいたることは絶対になくて、いかにもまことしやかにおこなわれ、感じやすいムーチョに長く耐えられるものではなかった。》pp13-4/p15

 現在のムーチョはラジオ局でDJをしているが、逆にこちらの仕事の価値は自分でまったく認めておらず、トークを検閲しようとする上司とたびたびケンカになる。
 結局、遺言の執行については雇っている弁護士に相談するしかない。結婚前のエディパとピアスの関係はムーチョも知るところである。

 午前3時、突然の電話のベルに叩き起こされて、エディパは心臓が止まりそうになる。

…続き

コメント

非公開コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。