2007/09/11

齋鹿逸郎という人がいた

 9月9日の日曜日は、目黒区美術館に行ってきた。楽しかったけど後悔もした。というのは、見に行った展覧会はその日が最終日で、見ている最中から「もういちど見に来たかった」と思ったからだった。

 目黒区美術館 《線の迷宮<ラビリンス>Ⅱ―鉛筆と黒鉛の旋律》
 2007(平成19)年7月7日(土)~9月9日(日)

 これは、鉛筆画の分野で現在活動中の日本人画家、9人の作品を集めた展覧会で、チケットを買って会場に入ると、鉛筆(と消しゴム)でどこまで細かく描き込めるか、みたいな作品ではじまり、やっぱりリアルを追い越してシュールの領域になだれ込んでいくのだけど、それはあくまでひとつの方向で、パリッとしたデザイン画や人物画など、9人みんなめざすところはちがって(←当たり前)それぞれがそれぞれに面白かった。

 なかでも関根直子という人の作品は、影とか光とか曖昧なものをもちろん細かく細かく描いているんだけど、近づけば1本1本の線は普通に目に見え、「これは絵だよ」「鉛筆で書いているよ」ということをたえず訴えかけてくるようで、「これを鉛筆で描いているとは信じられない!」みたいな超絶技巧より、こちらのほうが個人的には気に入った。もちろん、こっちはこっちで別種の技巧を駆使しているにちがいないんだけど、なんというか、絵の実物と、パンフにあった作者自身の言葉の合わせ技で、えらく腑に落ちたのだった。
《私は、鉛筆の表現を始めた頃より、描写するという思考から離れ、線で描くということに興味を持っていました。》

 1階から2階に上がり、あれこれ見ていって、いちばん奥にある、齋鹿逸郎という人の展示室に入った瞬間に仰天し、よく見ていっそうじわじわと仰天していった。
 この人の絵は、円とか四角とか太めの線とかそのほかさまざまな図形をびっしり組み合わせて紙を埋めたもので、ぱっと見では都市の航空写真だとか、ICの基盤だとか、腕時計のカバーを外したところだとかのように見えるのだけど、決してそのどれでもなく(というか、図形の組み合わせ以外の何ものでもなく)、そんな「よくわからない図形でびっしり」のよくわからない絵が、タテヨコに何十枚もくっつけられて、展示室の壁の正面、右側、左側の3方を、床から天井まで覆っている。はっきりした線で描かれた図形のかずかずが、見ても見てもなんだかわからいように集められていて、そのくせ整然とした印象も与えてくるのはどういうわけなのか、見ていくほどに気分が高揚した。
 文字通り広大な作品の部分部分によっては、上から何か塗ってあるのか、トーンがうっすら暗いところとそうでもないところがあり、あくまで平面的な部分と、同じく平面的でありながら、(具象でもないのに)なぜか遠近感をかんじさせる部分が混在していて、そういったちがいもいちいち面白い。天井の方は脚立でも持ってこなくては見えないから、「ああ、おれはこれをすみずみまで見たい、それもぜんぶいっぺんに見たい」ともどかしく思う一方、目に入る部分を一箇所ずつ見ていくからこそ面白いのだとも思われ、そしてそうやって見ていくあいだずっと、この図形を作者はひとつずつ描いていったんだよなと考え続けるわけでもあり、いくら見ていても飽きない。むしろもっと見ていたくなる。たとえば私は、右側の壁の中央のあたり、高さ1mくらいの部分にある、斜めに傾いた小さい長方形がタテとヨコにいくつか並んでいるところと、中央の壁の左端から2m、高さ1m50㎝のあたりにあるわりと円が多めの部分がとくに好きになったのだけれども、そもそも、このような感想の書き方をするしかない展示自体がどうかしている。
 すごく面白かった。それなのに会期は終わってしまった。そして、1928年生れの齋鹿逸郎は、今回の展示を楽しみにしながら、さる6月に急逝、と説明パネルに書いてあり、いままで名前も知らなかったことを残念に思うのといっしょに、この展示を常設にしてくれないものかと思った。
ここのリンク先にある作品でいえば、「no.8531」の絵にいちばん近いんだけど、今回の展示は、なんというか、「もっとくっきり」していて「余裕がある」気がした。実物はでかいからか)

 目黒区美術館はいろんな施設の集まった区民センターの一角にあり、日曜は天気もよかったので外のプールでは大人も子供もばしゃばしゃ泳いでいて気持よさそうだったが、帰る私も気持がよくなっていた。

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