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その2 ― ピンチョン Lot 49
競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


 本国アメリカでは、Lot 49 について小説そのものより分量のある注釈本が出版されており(A Companion to The Crying of Lot 49 、エディパの名前に関し、いきなり丸3ページ解説が始まる)、翻訳版でも巻末に50ページを越える訳者の“解注”が付いていて、丁寧な説明がされている。
 そういう資料によると、「その1」の一文からも相当な情報を読みとることが可能であるらしい。
 たとえば「タッパーウェア」を「密閉され、外界と隔絶された内の空間」と見て、これはすなわち退屈な日常に囚われているエディパの状態を示すものだとしてみたり、「タッパーウェアのパーティ」というのは、この商品を会社から請け負った主婦がホームパーティを開いて仲間に紹介するという販売形態のことだから、一般の流通ルートを介さないネットワークになっている点が、じつは小説の中盤以降を予告するものになっている、としてみたり。エトセトラエトセトラ。
 こういった解説の類は、小説冒頭のディテールでも、作品の全体や繰り返されるモチーフと照らし合わせて読み解いた成果の集積である。だから、いちどなりと小説を最後まで読み通し、再読する人なら「なるほど」とか「それはちがう」とか「限りなくどうでもいい」と反応できる。逆に言えば、はじめて読むときは、解注まで見てもさっぱりわかりません。
 しかし、それならまずは本文だけ読めばいい、ということにはならない気がする。
 何のことを言っているのかわからないにもかかわらず、本文と解注を並行して読み進め、過剰に増えてゆく情報に溺れる。『競売ナンバー49の叫び』をはじめて読むときの楽しみは、その苦労にあった。ついでに書くと、読者がすすんで享受するこの苦労は、エディパが強いられる苦労でもある。

 それにしても、ペーパーバックのLot 49 だと、うしろに注がついているわけでもないし、これを読むだけでは、作中でエディパが見ることになる実在の絵画がどんなものかもわからない。翻訳版には上記の通り懇切丁寧な解注が施され、その絵画(いずれ触れるでしょう)は折り込みのカラー図版になっている。翻訳という作業そのものに注釈・解説という面が含まれる以上当然のことかもしれないが、Lot 49 1冊を読んだアメリカ人と邦訳の『競売』を読んだ日本人では、ぜったい後者のほうが楽めると思うんだが。

…続き


A Companion to The Crying of Lot 49
J. Kerry Grant
Univ of Georgia Pr
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