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2007/06/24

柴田元幸『つまみぐい文学食堂』(2006)

つまみぐい文学食堂
角川書店


 先週、ご本人のトークイベントを聞きに行った勢いで読んでみた。
 この本は、タイトルから予想のつくとおり、さまざまな小説作品から「食べ物」の出てくるシーンを拾ってきて、そこにコメントをつけていく体裁の文章が24本集まって出来ている。
 毎回、何かしらテーマを決めてそれに合う素材(食べ物)を探してくるというよりも、むしろ、思いつくままに素材を並べていったところからどのような感想・考察を紡いでいくのかという手際が、まあ、シェフの腕ということになる。
 ところが予想とちがったのは、というか私は「食べ物の本なら、おいしい話が続くはず」と勝手に思っていたのだが、実際に次から次へと繰り出されてくるのは、あんまりおいしそうじゃない、それどころか積極的にまずい食べ物なのだった。
 ニンニクや豚肉、クリスマスディナーから粉ジュースその他の駄菓子まで、おいしい:まずいの比率は、体感では2:8くらい。明らかにこの食堂はうまくなく、なぜこの人はまずい食べ物(の出てくる小説)をこんなにも憶えているのかと不思議にさえなった。巻末には著者本人、イラストを描いた吉野朔実、都甲幸治(アメリカ文学者)による鼎談がついていて、やはり話題になるのはそこのところである。
吉野 だいたい読んでみると、おいしくなさそうに見えますね。
柴田 そうそう、そうなんです。食べ物があれば、おいしくなさそうだし、おいしそうだと食べ物はそこにない!
吉野 ないというのはポイントだと思いますね。[…]》

 なんではしゃいでいるのか。ともあれ、とりあげられるのたいてい英米小説、たまに他の外国小説、まれに日本小説で、英米産の場合は漏れなく本人が訳している。私はトマス・ピンチョンが好きなのだけれども、ピンチョン作品に出てくる食べ物、といってすぐに思いつく2例、まず『V.』で、夜、イタリア人スパイが片手にイカをぶら下げ、フライパンと油を探してボロい楽器屋の2階をうろうろするシーン(邦訳だと上巻の第七章VIII、これはおいしそう)と、『重力の虹』から、第二次大戦下のイギリスで遊んでいるアメリカ人中尉スロースロップが、親切な老嬢のお茶の時間に付き合わされてさまざまなイギリス菓子を食べさせられるシーン(邦訳だと上巻pp154-162あたり、あまりのまずさにスロースロップは幻覚を見る)、この両方が拾われていてうれしかった。
 とくべつ面白いのは、小説の、それも食べ物のシーンだけ注目し、それに自分の思い出ばなしを重ねたり、逆に、思い入れのある食べ物が登場する場面をつないでいくなかに、わりとあけすけな感じで行なわれる柴田元幸の自己省察を見物できることで、よく言われる、食べてる物を見れば人がわかる、というのはあながち嘘ではないのかもしれない。
 別の本ではエドガー・アラン・ポーの小説世界を「食欲と性欲のない空間、ゆえに生の帳尻は合っている」などと喝破したりもしているが(たしか喝破したと思う)、この本ではそれほど大上段にかまえずに、ジャガイモの行く末を追いかけたり、鯨肉に寄せる熱い思いを吐露したり、一人の客も来なかったカフェについて想像をめぐらしたり、が続く。索引の充実ぶりも特筆に価するだろう(作品・作家名だけでなく、「食べ物」からも引ける)。
 しかしやはり気になるのはまずい食べ物で、本文はもちろん、巻末鼎談でもいちばんの読みどころはそこになっている。おいしいものよりまずいもののほうが話が弾む、みたいな一般論に落ち着くことを潔しとしないのか、考察はもう少し進められる。
柴田 ……旨いものの話をストレートに書くと、結局自分を祝福することになるだけなんじゃないかなぁ。
都甲 何か悪いんですか。
柴田 ぼくの問題なんだけどさ(笑)。
都甲 それは、完璧にカウンセリングみたいですよ。
柴田 何であなたは自分を祝福できないんですかっていう、アメリカだとそういう話だよね。でも、子どもの頃、童話読んで豊かな気分になってた自分を祝福するみたいで嫌なんですよ。でも、給食のクジラを旨いなと言ってた自分は祝福したい気になる。
吉野 それは、給食だから。
柴田 そう、給食だからなんですね。》

 あはははは。読み返すだに、「何か悪いんですか。」がとてもよいと思う。そして私はまたしても、この人は信頼できる、との感をあらたにしたのだった。

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