2005/01/12

05/01/12

 医療行為の現場において、施術者と患者は絶対的な上下関係にある。

 今年もあいかわらず整体に通うことにして、さっそく今日の帰りに接骨院に寄ってきたのだが、たとえば、揉まれたり曲げられたりしている最中に「実家はどこなの?」などと訊かれた際に、黙秘したり「そんなことは教えたくない」と言って患者の側から回答を拒否することは、ふつう、できない。対抗策として「嘘をつく」という手が考えられるが、ながく通院する場合、自分のついた嘘を管理し続けるのはたいへんむずかしい。嘘をついていたのがばれたら双方気まずくなるに違いなく、私は二度とそこに行けなくなって、腰は痛み続けるだろう(痛むだけならともかく、悪化するかもしれない。おそろしい。もうだめだ)。
 そういうわけで、他に患者もおらずゆっくりした治療のときなど、いくつかの質問に答えた後でふとわれに返ると、診療台の上であっさり丸裸にされてしまっている自分に気がつくのであるが、この文章を書きはじめたとき念頭にあったのは、丸裸は比喩表現であるとか、そういうことではなかった。逆に、施術者(先生)の側には少々の無茶な発言も許される気がしてならない、という話である。

 年末のある日、私は硬いベッドに仰向けにされ、足を片方ずつ持ち上げてゆくとどこらへんから腰に痛みが出るか・痛いのは腰のどのあたりかをチェックされていた。デリケートな作業だ。痛む箇所を伝え損なったばっかりに誤った刺激を加えられたら、痛みが悪化するかもしれない(悪化するだけならともかく、あらたな痛みが発現するかもしれない。おそろしい。もうだめだ)。
 足が上げられた。神経を集中する。すでに痛い気がする――でも痛むのは足ではないか――いや、腰が痛い。どこから痛んでいたんだ。再トライ。場所はもうちょっと上だ――行き過ぎた――下が痛い――でもその横のあたりも痛いじゃないか――というか全面的に痛いのだが、それはどこも痛くないのと同じなのだろうか。もう何もわからない。すみません、もう一度お願いします。先生は一喝した。

「この神経質め」

 納得がいかないまま、私は年を越したのだった。
 同じ先生はまた別の日、私の体を様々に折り曲げては押さえつけ、のしかかり、各所の関節を鳴らし、関節があるとは思えないところも鳴らしてから、充実した表情で述べた。

「ああ、カイロプラクティックしてるって気になるなあ」

 医療行為の現場において、施術者はいつでも言いっ放しである。

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