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映画「恋愛睡眠のすすめ」(2006)
ミシェル・ゴンドリー監督

 ミシェル・ゴンドリーの新作が、しばらく前から公開されていたと知ったので見に行った。渋谷のシネマライズ。スペイン坂は、実際の傾斜以上に急角度に思われる。

 タイトルからしてどうも夢の話らしい、くらいの予想をしていたが、もっと不思議なものを見せられた。
 しばらくメキシコで暮らしていた男の子がパリに戻ってきて、隣室に引っ越してきた女の子と仲良くなり、さてそれから、みたいな筋はあるのだけど、これは、公式サイトで紹介されているような、夢見がちな主人公の現実と夢が混ざっていって、次第に区別がつかなくなり……という映画ではない気がする。たぶん。
 現実を浸食する夢の世界、とか、危うし客観!とかいうよりも、手作り感満載の小道具を使って撮った変な映像のあれこれを、流れをもった105分のつらなりにするために、いちおうの枠として「夢」をもってきたのじゃないだろうか。たぶん。
「たぶん」「たぶん」と続いたが、たぶん、映画館を出たあとで、自分の見たものから「夢」という設定を取り外しても、映画の印象は変わらない。だから上映中も、どこから夢のなかに移ったのか、いま映ってるこれは現実なのかとか考えるのを途中でやめたのはよかったんだと、これは「たぶん」ではなくはっきり思う。そんな見方、はじめからするなよとも思った。
 たとえば、ちぎった綿を天井に投げて、すかさずピアノの正しいキーを叩くと綿は浮かんだまま落ちない雲になる、というようなシーンには、ぜんぜん派手ではないのにすごいしあわせな空気があふれていた。いま思い出しても顔がにやける。この言葉、あんまり使いたくないのだが、映画のあちらこちらが、めちゃくちゃかわいいのである。手芸でマジックリアリズム!
 そういった、どばどば多幸感を産出する場面の数々を作るにあたって、「夢」と同じように「恋愛する二人」というのも、それらを映画にみちびき入れるための口実なのだ(それがなくたって映像は成立するのだ)、とまでは言えないように思われるのが、なぜか悔しかった。

 よくわからんけど楽しそう、という空気は、ダンボールとセロファンの小道具や珍妙な発明品ばかりでなく、もっと根っこからこの映画を浸していて、主人公が入り込むことになる、働いてる人がひどく親密な小さい職場、というものの描き方もまた、思い返すだに楽しい気持にさせられる。日常的に衝突が起こるのまで含めた、親密な空間。凶悪な下ネタ野郎はいても、悪人は一人もいない。倉庫のような狭苦しい仕事場で、ヒロインが同僚と喋っているうちにヒートアップして軽い取っ組み合いになり騒ぎ出すと、ドアの奥からうんざりした顔の上司が登場、

「ケンカするんなら友達をやめろ!」

と一喝するのに笑った。登場人物は全員いい年をした大人でありながら、主人公とヒロインを「男の子」「女の子」と呼ぶほかない世界がたしかにあった。

 このようにかわいらしい映画の、かわいらしいプログラム(薄いピンク色)も逡巡した末に買ったが、監督へのインタビューの一節だけで充分、もとは取れたように思う。
Q. 観客にはこの映画から何を感じてほしいですか?
A. 女の子にモテない僕をかわいそうだと思って欲しい[…]多くの女の子から、“女の子に相手にされなかった過去を克服できるよう私が手を貸してあげる”という申し出があったらいいね。
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