趣味は引用
ミハイル・ブルガーコフ「巨匠とマルガリータ」(1929-1940)

水野忠夫訳、集英社(1990)

《「フリーダ!」つんざくような声でマルガリータが叫んだ。
 ドアがさっと開くと、髪をふり乱し、裸ではあるが、すでに酔いの徴候はまったくない女が取り乱した目をして部屋に駆け込んでき、マルガリータに両手を差し伸べたが、マルガリータは威厳をもって言った。
「おまえは許される。もうこのさき、ハンカチが置かれることもない」》p557

 舞台はモスクワ。ある春の夕暮れどき、文芸誌の編集長であるベルオリーズと詩人のベズドームヌイが無神論について議論していると、そこに服装から身のこなしまでいかにもあやしげな男が現われて、突如、ユダヤ総督ポンティウス・ピラトがイエスの処刑に断を下すまでの、こってりした幻覚を見せる。何が何だかわからないまま、あやしい男は編集長がまもなく首を断ち切られて死ぬだろうと告げ、するとその予言通りにベルオリーズは足を滑らせ線路に転落、電車に頭部を刎ねられて絶命してしまう。詩人はショックで発狂する。

 ふざけようとしてふざけているのか、厳粛にしようとするあまりふざけているように見えるのか、ドタバタであることだけはまちがいない始まりかたをするこの小説の大騒ぎは、ページをめくるごとに悪ふざけの度合いを増していく。
 あやしい男とその仲間が行くところ、いるはずだった人間がいなくなり、あるはずのなかった札束が出現する。大劇場の支配人はじめ、関係者を軒並みたぶらかし、魔術師としてステージに上がった彼らは、種も仕掛けもない正真正銘の魔術で満場の観客を幻惑する。支配人はヤルタに飛ばされ、司会者のあたまが取れ、経理部長は失踪する。客席の女性客は極上の服飾品を与えられるいっぽうで、“演劇と大衆娯楽委員会”の議長が透明人間と化し、事務員たちは揃ってコーラスの練習に没頭させられる。規則と書類でどんなに秩序だてられた組織でも、いや、秩序だてられている組織ほど手ひどくひっかきまわされて、警察当局は右往左往するばかり。騒動の核心につながりそうな手がかりは、見つけた端から消えてしまう。
 くだんの男はもちろん悪魔だったのであり、その名はヴォランド。彼につき従うのは、格子縞の背広男、二本足で歩く黒猫、吸血鬼の女(つねに全裸である)、赤毛の暴力男。
 彼らのあとには吹雪のように十ルーブル札が舞い、躁病的な狂騒が街に広がる。続出する患者でにわかに活況を呈する精神病院の一室に、じつは数ヶ月前からひっそりと暮らしている中年男がいた。もと小説家志望の「巨匠」である。彼はどうやら、ピラトをめぐる大長篇を書いていたらしい。

 サドーワヤ通り三〇二番地のアパート、五〇号室をねじろとし、モスクワを蹂躙する悪魔一味の目的は何なのか(そもそも、目的があるのか)。彼らの所業は、挟み込まれるピラトの話とどのような関係をもつのか(そもそも、関係があるのか)。めくってもめくってもおもしろい。
 だからこの小説はまず、善良な市民のあいだに悪魔がもたらしたドタバタの、微にいり細をうがつ、意地の悪いディテールをおもしろがって読んでいればよさそうなのだが、そのうち話は第Ⅰ部から第Ⅱ部に移り、巨匠の愛人マルガリータが、悪魔に手を引っぱられるかたちでいよいよおおっぴらに舞台へ上げられる。彼女の献身と一途な思いが、どんちゃん騒ぎと並行して語られ、しだいしだいにこの作品の構成が見えてくると、また別種の感動をおぼえる。「なんと、構成があったのか」、そして「こんな構成がありなのか」、と。

 ヴォランドはどうしてマルガリータに目をつけたのか。巨匠は退院できるのか。イエスの処刑のあと鬱々として楽しまない総督を描いた、彼の小説の筋はどこへいくのか。
 巨匠とマルガリータとピラトの運命を追いかけ、手が勝手にページをめくっていくような状態で、「早く読み終えたい」と「もっと読んでいたい」とのあいだで気持は揺れ、なんだか久しぶりに、「もったいないから読み終えるのは明日にして、今日は寝る」なんて真似までしてしまった。
 そして実際、最後の50ページを使ってそれぞれの登場人物にそれぞれの幕が引かれていく様子は、まるで作者が登場人物といっしょになって読者に手を振ってくれているようでさえあり、特にある登場人物の、身に迫るような寂寥感と、そこに救済を与える方法には唖然とさせられた。
 エピローグの余韻にひたりながら、いまもあたまは勝手にあれやこれやの名場面を再生してやまず、とりわけ印象に残った、マルガリータがほうきで空を飛ぶシーンを引用しておきたい。はじめはおっかなびっくり飛んでいた彼女が、慣れるにつれ、大胆な滑空をはじめる。
《マルガリータがもう一度、ぐいと力をこめると、今度は屋根の群れが跡かたもなく消えてしまい、それにかわって、震えている電光の湖が下方に現われ、その湖が突如として垂直に持ち上がったかと思うと、やがて頭上に現われ、足もとに月が輝いた。マルガリータは自分が宙返りをしていたことを知り、正常な位置をとり、ふり返って見ると、湖はすでになく、背後には薔薇色に輝く夕焼けが地平線に残っているばかりだった。それも一秒後には消え、いまや、マルガリータの道づれとなっていたのは、頭上の左側を飛んでゆく月しかなかった。髪の毛はだいぶ前から風になびき、月の光はひゅうひゅう音を立てながらマルガリータの身体を洗っていた。》p517

 人間であるマルガリータがどうして空を飛べるのかというと、それは悪魔がくれたクリームを全身に塗りこんだためであり、言い換えると、彼女は全裸で空を飛んでいる。
 べつにその点ばかりに注目するのではないのだけれども、登場する女性たちが、魔女だけでなしに、主人公も脇役も区別なく、一般人まで含めておおむね全員、とくに意味があるとも思われないのになぜか全裸にされるというパターンが全篇を通して繰り返されるのは、つくづく馬鹿馬鹿しくて好きだった。

 めっぽうおもしろいこの小説を、私は集英社の世界文学全集である「集英社ギャラリー 世界の文学」の第15巻、『ロシアⅢ』で読んだ。この全集は、1977年の「集英社版世界の文学」→ここを参照)を再編集し、“新作”を加えたものだと思うが(さらにここを参照)、『ロシアⅢ』はほかにもいろんな有名作や短篇、詩をたくさん収録しており、なにより、まだ生きている点がすばらしい。

ロシア〈3〉/集英社ギャラリー「世界の文学」〈15〉ロシア〈3〉/集英社ギャラリー「世界の文学」〈15〉
(1990/10)
ゴーリキー工藤 幸雄

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 定価4935円は安くないが、古本屋ではどの巻もたいてい1000円で売っていて、私はそれで買った。しかも「巨匠とマルガリータ」には、この水野忠夫訳よりあたらしい版がふたつもある。
 まず、群像社の法木綾子訳は2巻本。(上巻は品切れか?)

巨匠とマルガリータ (上) (群像社ライブラリー (8))巨匠とマルガリータ (上) (群像社ライブラリー (8))
(2000/03)
ミハイル・ブルガーコフ法木 綾子

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巨匠とマルガリータ〈下〉第2の書 (群像社ライブラリー)巨匠とマルガリータ〈下〉第2の書 (群像社ライブラリー)
(2000/03)
ミハイル ブルガーコフ

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 郁朋社の中田恭訳は、わりと最近出たばかり。表紙が素敵。

巨匠とマルガリータ巨匠とマルガリータ
(2006/11)
ミハイル・アファナーシエヴィチ ブルガーコフ

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 で、水野忠夫の訳に戻るが、これは集英社で「世界の文学」→「ギャラリー 世界の文学」と二度のつとめを果たしたのみならず、さらに今度は、河出書房新社の「世界文学全集(池澤夏樹個人編集)」にまで収録されるようだ。→ソース
 解説によれば、1930年代のソヴィエト政権下で“反動的”と弾圧されていたブルガーコフは、発表のあてもないまま10年に渡って「巨匠とマルガリータ」の原稿を書き続け、そのまま死んだ。そのご30年ちかく経ってからようやく日の目を見るや、この大作は《たちまち各国語に翻訳され、世界中でセンセーションを巻き起こ》したという。
 出版を未来に託すしかなかったブルガーコフが、登場人物の「巨匠」に自身の姿を重ねているのは想像にかたくない。であればこの小説が、ロシアだけでなく日本を含む外国で、いま現在も訳を変え、版を変えしながらたくましく生き延びている事実は、作中で失意に沈んで筆を折ってしまった「巨匠」を悪魔が励ますという、なんだかわからないままそれでもひどくこちらの胸を打つくだりと、ただしく照応していると思う。
《「なにかほかのテーマを見つけられなかったのですか? 見せていただけませんか?」ヴォランドは掌を上にして手を差し出した。
「残念ながら、お見せできないのです」と巨匠は答えた。「暖炉で燃やしてしまったからです」
「失礼ですが、信じられませんね」とヴォランドが答えた。「そんなはずありません。原稿は燃えないものです」》p560
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