2006/12/28

戸田山和久『論文の教室』(2002)

論文の教室―レポートから卒論まで

NHKブックス


 日曜が月曜へ日付を変えたころ、終電を待っていた西武池袋線の駅でホームのベンチに捨てられていたのを拾って読んだ。
 タイトルの通り、これは論文の書き方を学生向けにレクチャーする実用書だった。作者の本業は「科学哲学」の専門家なんだそうである。では中身はどんな具合か。まず、「はじめに」はこう書き出される。
《 本書の独自性とねらい

 世の中には数えきれないほどの「論文の書き方本」がある。そうした類書と本書の最も大きな違いはつぎの点にある。それは、これら無数の類書の中で、この本だけが私によって書かれたということだ。この違いは読者のみなさんにはどうでもいいことかもしれないが、私にとってはとても重要である。なぜなら、売れゆきが私の経済状態にかかわりをもつのは本書だけだから。
 というわけで、私はなるべく多くの方々に読んでいただきたいと念じつつ本書を執筆した。もっとストレートに表現するならば、売らんかなの精神で書いた。[…]p9

 たいへんなことにこの本は、きっちり最後までこんな調子で書かれている。
(1)これまで論文なんて書いたことのない大学新入生と、(2)彼を容赦なく教育して教育して教育し倒す先生、というふたりのキャラのやりとりで構成され、学生が徐々に成長していく過程をもっておおまかな流れとしているのだが、その学生が作文ヘタ夫くんと名付けられているのだからベンチに捨て置いた人の心中もそこそこ想像にかたくない。しかし正直、このネーミングで済ませてしまえる作者の身のこなしに私は軽く感動した。

 ひたすらに型を遵守して書け、と「先生」は――作者は――繰り返す。むしろ、型に引っ張られて進んでいくのが論文書きという作業なのだ、と。
 その目標のためにアウトラインの必要性を説き、論証のテクニックを懇切丁寧に実演するこの本を読みながら私があらためて思い知ったのは、“徹頭徹尾、論理の筋を通してやろうという強靱な意志で貫かれた文章を、これまで自分はいっぺんも書いたことがない”という事実だった。
《第2章では論文を定義して、「問いと主張と論証のある文章」と言った。しかし、「ぼくはキミの前にくるとしびれちゃう。なんでかな。キミがぼくを見つめているからさ。だって、キミの瞳から一〇〇万ボルトの光線が出てるんだモン。うおううおう……」とヘタな路上ライブをやっている人がいたとしても、だれも「おっ。問いかけと主張と論証があるね。なかなかいい論文だ」とは言わない。この歌は、論文の形式をもっていないからだ。》p72

 一見スラスラと書き流しているようなこの文章を、自分がどうして3回読み直してうなるほど面白いと感じるのか。そこを分析し論理立てて説明し尽くす能力が、私にはない。ヘタ夫くんは私だったのである。
 なお、本文の雰囲気と完璧にマッチしているという点で、表紙のイラストもかなりの好感度である。この作者による「科学哲学」の入門書も読んでみたくなった。

コメント

非公開コメント