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トランジットルームへようこそ
 宮沢章夫の作・演出になる現代能楽集III 「鵺/NUE」を見てきた。三軒茶屋のシアタートラム。おとといからはじまってるので3日目だと思ったが、前2回は「プレビュー公演」だったようなので、そうとは知らずに初日を見ていた(→公式ブログ)。

 どこか外国の空港で足止めをくらった演劇関係者たち(演出家、俳優、マネージャー、映像作家)が、トランジットルームで待っている。各人各様に気がかりがあるようで、空気はときどき穏やかではない。彼らがやってくる前からひとりでそこに座っていた「黒ずくめの男」もじつは日本人であるとわかり、それどころか、かつて新宿の演劇界で名を馳せた伝説のアングラ俳優だったらしいことが明らかになる。偶然のめぐり合い。こんなところで男は何をしているのか。そして、いまでは世界的な名声を得た「演出家」とこの男との、過去にさかのぼる因縁……。イスと看板と自動ドアがあるくらいの舞台がえらくかっこいい。

 宮沢章夫の舞台を「トーキョー・ボディ」(2003)、「トーキョー/不在/ハムレット」(2005)「モーターサイクル・ドン・キホーテ」(2006)と見てきたが、どの作品でも劇中で“役者が煙草を喫う”場面があったと思う。今度の「鵺/NUE」だと煙草はいちばん重要な小道具で、それによって喚起される「過去のある時代」を生きた「黒ずくめの男」がとにかく圧倒的だった。はじめてこちらを向いたとき、はじめて言葉を喋ったときから目が釘付け、いや、はじめのうちしばらくは客席に背を向けてじっと座っていたその後姿からして異様だったといまにして思う。演じる役者(若松武史)はほんとに寺山修司の天上桟敷にいた人なのだそうで、声も動きも、ここぞというときの口調もことごことく変、ああなるほど鵺ってこのことかと素直に納得させられた。目の前にいるのに確実に正体不明。

 この登場人物だけでなく、劇が進行するなかで、清水邦夫という、実際に70年代の新宿で演劇をやっていた人の戯曲を引用した劇中劇が何度か行なわれ、たしかにはっきりと「時代がちがう」台詞が滔々と、ただし私と同じかそれ以上に若い役者の口から語られる。最初から最後までトランジットルームを動かない舞台のうえで、役者と言葉がごちゃごちゃ重なっていく(後半に行くとだんだん区別がわからなくなる、というのは私は清水邦夫の本を読んでいなかったから)。

 どれだけ鮮烈な言葉でも、時間が経つと古くなる。陳腐になる、というのとは別の意味で過去のものになってしまう。そういう言葉が現代の劇のなかですくいあげられると、前後の言葉に対して異物として聞こえるから面白い、というだけではく、そのズレ自体がきっと舞台の中心で、そんな構図の骨組みとして能の「鵺」が使われたらしいのだけれども、そちらがいったいどんな話なのか私はぜんぜん調べていなかった。ひとまず図書館で借りてきた清水邦夫の戯曲集をめくりながら、それにしたっていったいこれは何事かと驚いている。
詩人 なんて予感に充ち充ちた便所なんだ、このさりげないたたずまい、かすかにただようなつかしい臭気、それでいて傲慢なまでの自己主張、そして日々あくこともなくくりかえす大衆との対話……いやいや詩人と時代のむすびつきとは、時代の反逆者たることではない[…] かの詩人はいった、満開の桜の木の下には一ぱいの死体が埋っている、そしてまたまた、かの詩人がいった、夜の公衆便所の下には一ぱいの死体が埋っている……》
「ぼくらが非情の大河をくだる時」
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