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2006/10/20

「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を読んでみる  その46


[前回…]

 1ヶ月ぶりのラブレー。ひさしぶりなのでちょっとふり返る。

『ラブレー第一之書 ガルガンチュワ物語』は、巨人国の王グラングゥジエの息子として生れたガルガンチュワの幼年時代から話がはじまった。この王子が成長してパリへ遊学しているあいだに、祖国には隣国のレルネが攻め込んできて戦争が勃発。しかし、帰ってきたガルガンチュワとその家来の活躍によって悪は見事に撃退され、平和が戻ったのだった。めでたしめでたし。
 ――といったところで第1巻はほぼ終わる。残っているのは、もっとも勝利に貢献したジャン修道士への褒美として建てられた「テレームの僧院」の話だけ。

 もともと偏執的な細部描写のあふれかえる本作のなかでも、この僧院の描写には、これまで以上にどうかしてしまったような情熱が注ぎ込まれ、文章の調子もほかとはちがっている、ということは前回すこし書いた。
 では、具体的にどうちがうのか。私は巻末の解説を読んではじめて「ああそういわれてみればたしかに」と思い至ったのだが、「ガルガンチュワとパンタグリュエル」といえば大食い・大酒飲み・糞尿譚であるのに、例外的にこの「僧院」を描写する数章にだけは、下ネタにつながる要素も、酒池肉林・暴飲暴食を思わせる要素もないのである。これが『ガルガンチュワ物語』のほかの部分と「テレームの僧院」を分けるちがいである。
《酒や食物の記述を好んでするラブレーが、調理場や酒蔵を、この「テレームの僧院」に設けるのを忘れているということが、今まで多くの人々から指摘されてきた。そして、このような特異な忘却のなかに、ラブレーの純真な信仰告白が見られるように思われてくるし、『ガルガンチュワ物語』というゴチック・フランボワヤン式の奔放な建物の一角に取りつけられたルネサンス式の麗しく敬虔な礼拝堂が発見できることにもなろう。》「解説」 p435

 ちょっといい話、と言いたいくらい納得しやすいエピソードであるが、しかし、じつは事情はもう少し複雑である。というか、比較的最近になって、もう少し複雑になった。
 訳者である渡辺一夫の評論を集めた『狂気について』という本に、ラブレーの翻訳、とりわけ「テレームの僧院」について書かれた文章が収められている。渡辺一夫はこの翻訳を、戦前、まず最初に白水社から出版した。その際に、「テレームの僧院」の一部をこのように訳したという。
A 《塔と塔との間は三百十二歩もあった。地下室を一階として含めれば、全体で六層楼になっていた》

B 《三番目の対の塔の間には、火縄銃や弓や弩[いしゆみ]の射的場が設けてあった。傭人たちの棲居は、「西方」塔外に、一階建てになっていた》

 ラブレーはあたらしい時代の理想と希望をありったけ込めてこの僧院を構想した、その際に「己の描いた夢の美しさに陶然として、人間の肉体的欲求への興味を忘れてしまった」というのが、翻訳当時のラブレー研究における定説だったらしい。ここまではさっき書いたことと同じである。
 ところが、1964年、『ガルガンチュワ物語』の上梓されたのが1534年だと考えればごく最近になって、フランスの学者が、僧院の記述に使われている古い語句のなかから、「酒倉」「台所」の語義を発見するという一大事件があった。
 かくして、改訳決定版であるこの岩波文庫版(1973)では、上に引用した部分はこのように変えられることになった。
A' 《塔と塔との間隔は、三百十二歩もあった。地下の酒倉も一階として含めて言えば、全体で六層楼だった》p234

B' 《三番目の対の塔の間には、火縄銃や弓や弩[いしゆみ]の射的場が設けてあった。調理場は、「西方」塔の外に一階建てになっていた[…]》p243

 テレームの僧院から「酒倉」と「調理場」が発掘されたのである。そうなると、「ラブレーは理想を夢見るあまり、肉体のことを忘れてしまった」という説はいくらか根拠を弱めるだろうが、それは私のような一読者には関係がない。私が面白いと思ったポイントは4つある。

(1)『ガルガンチュワ物語』の最後に、僧院にかこつけて自分の理想を思いきり書き込んだラブレーの姿を想像すると、そのはりきり具合が面白い。

(2) 何百年という時間の経過のなかで、僧院の記述には「台所」も「酒倉」もないという点が注目され、そこから「夢にふけって忘れた」という解釈が引き出されて、そんなことまでが定説となっていった“ラブレー研究の伝統”が面白い。

(3) そんな伝統の最前線に、地道な調査で(2)を引っくり返す人が現れたという点が面白い。しかも「長年の定説を引っくり返した」その内容が、「ないと思われていた台所が本当はあった」という、そこだけ聞くとわけのわからない発見であるのがまた面白い。どこの間取り図の話か。

(4) そしてもちろん、これらの研究の成果をふまえて翻訳のアップデートを繰り返した渡辺一夫が、「chapelleという語は“祈祷室”なのか“納戸”なのか、officeという語は“控えの間”なのか“調理場”なのか」と、ひたすら真摯に悩んでいる様子が面白い。

 先に引用した文庫「解説」(p435と書いてあるところ)の続きも、このような経緯を素描しているのだが、たかだか一語のうしろにもこんなにたいへんな格闘があったとは想像できなかった。今回のネタにした文章、つまり、『狂気について』収録の、僧院の台所をめぐって解釈が二転三転する経緯を詳しく綴った一文に、渡辺一夫は「やはり台所があったのか?」というタイトルをつけている。このセンスがつくづく面白い。というか、うれしい。
《「テレームの僧院」の夢は夢として珍重できることには変りありませんが、ないほうが夢らしくてよいと思っていた「台所」や「酒倉」が、「発見」されてしまいました。しかし、「便所」は、残念ながら、いや仕合せなことに、記述から洩れていることは確かでした。》
『狂気について』 p39



狂気について―渡辺一夫評論選 狂気について―渡辺一夫評論選
大江 健三郎、清水 徹 他 (1993/10)
岩波書店

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