趣味は引用
「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を読んでみる  その45

[前回…]

 ソクーロフの「太陽」を見てきた。この映画のあとではだれだって、ハーシーのチョコレートが食べたくなってしまうだろう。客席、ほんとにご老人が多いので複雑だったけれども。見どころは町山智浩が最初のレビューで紹介しつくしているが、笑えるシーンの実際のおかしさはどうにも伝達しがたい。軽い気持でイッセー尾形は神、とか言ったら、映画の内容ぶち壊しではある。

 ラブレーの続き。莫大な費用をかけて建設された「テレームの僧院」は、地下1階・地上5階の6層構造、外観は6角形をなし、角ごとに太い丸塔がそびえ立つ。この建物を描写するラブレーの筆致は、まるで設計図をすみからすみまで文字で書きつくそうとするかのように詳細きわまりない。
《[…]各々の塔の間、母屋の中央に、一つずつ、棟のなかに作られた踊場づきの螺旋階段が設けてあり、その階段は、或いは斑紋岩、或いはヌミディヤの紅大理石、或いは緑地に紅白の縞目の出た蛇紋石で作られ、幅は二十二尺、厚みは三指寸、それが各々の踊場の間に十二段ずつならんでいた。踊場毎に古代風の見事な対の飾拱門が取りつけてあり、そこから外光が射しこむようになっていたが、この拱門を潜ると、螺旋階段と同じくらいの幅の格子窓つきの小房へ出た。更に階段は屋根の上までのぼってゆき、最後は、物見楼なっていた。この階段から左右の広間へもはいって行けるのであり、この広間は、各々の部屋へ通じていた。
 「朔北」塔から「冷水」塔にかけて、ギリシア、ラテン、ヘブライ、フランス、イタリヤ、イスパニヤ語の書籍を蔵めた壮麗な大図書館が設けられ、各国語別に各階へ分けられていた。[…]》第53章 p235

《どの広間も居間も小部屋も、季節の移り変りに従って、様々な毛氈で敷きつめられていた。通路という通路は皆、緑色の羅紗で蔽われていた。寝台は、縫箔で飾られていた。どの控え部屋にも、純金の框[わく]に嵌めこまれた水晶の鏡があり、その鏡の周囲には真珠玉が鏤められ、全身を隈なく映し出せるほどの大きさだった。婦人寮舎の広間の出口には、香料係や結髪係が控えて居り、男子が婦人を訪ねる場合には、これらの人々の手を通ずる仕組みになっていた。[…]》第55章 p244

 なんでそこまで、と言いたくなる書きっぷりである。描写は時間を止めるから、こういった記述が続く限りは物語は進まない。しかし、進まなくてもよいのである。というか、ラブレーには物語を進めるつもりがない。もう『ガルガンチュワ物語』に出来事は起こらない。ガルガンチュワと院長であるジャンさえも、最終章のラストにいちど顔を見せるだけ。あとはひたすら、テレームの僧院と、そこに住む修道士(テレミート)の姿が描写されてゆく。
 とりわけ、修道士男女の服装の記述は膨大である。季節によって変わる髪の結い方から肌着に長裳に胴当てに靴、それらの色から材質、ちょっとした着こなしの工夫までがえんえん述べられて、訳者も註を乱れうち、テレームの僧院がいかにすばらしい空間であるかがおなかいっぱい力説される。
 修道士たちのために衣装係や各種の職人まで揃えられていて、僧院はさながら完全に自足した別世界。ここがいかに快適な場所であるかの説明が続く。というかラブレーは、この僧院を最高に快適な場所として造形しようと一生懸命なのである。描写は過剰だが静的で、ガルガンチュワ子供時代の遊びの列挙なんかとは根本的にちがう。いつになく真面目なラブレー。
 ここのところの事情を、訳者渡辺一夫は「作者ラブレーは、グラングゥジエやガルガンチュワが巨人であることをも、また自らの想像した物語の筋すらをも忘れ果てて、ただ明け初める時代に懸けた希望と理想と憧憬との夢――ルネサンスの夢――に耽っているようにも思われる」と書いている(「解説」より)。
 で、これまでのしっちゃかめっちゃかな大騒ぎ的物語と、この僧院パートとの齟齬がもっともよく現れている(とされてきた)部分を訳出するにあたって大いにふり回される渡辺一夫のエピソードがちょっと面白いので次回に続く。

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