2006/09/03

「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を読んでみる  その41


[前回…]

 第48章。章題は「ガルガンチュワがラ・ローシュ・クレルモー城中にピクロコルを襲い、右ピクロコルの軍勢を壊滅させたこと」。父王グラングゥジエから指揮権を譲られたガルガンチュワが、いよいよ全軍を率いて城攻めに向かう。
《ガルガンチュワ軍は、窪地に身を引いて砲兵隊に思う存分に活動させた。城を衛る敵兵たちは死力を尽して防戦に努めたが、射かける矢は寄手の軍勢の頭を越えて飛び去ってしまい、誰をも傷つけなかった。砲火から逃れ出た敵部隊の数人の者は、敢然として我が陣へ討ち入ってきたが、その甲斐はなかったと申すのは、一人残らず我が戦列に迎えられて、そのまま地上に倒されたからである。》p219

 約3ページで城が落ちる。今回も、(1)ジャン修道士と、(2)ガルガンチュワを含むその他、といった構成で、どう考えてもこの修道士は巨人ガルガンチュワを食ってしまっている。活躍しすぎ。
《敵の防衛軍は、四ほう八ぽうから、ガルガンチュワ軍が城内へ侵入してきたのを見て、修道士に降服して和を乞うた。修道士は、打物刄物銃槍の類を棄てさせ、敵兵を悉く礼拝堂内に追いこんで閉じこめてしまい、十字架附きの棍棒などは一切没収して、脱走せぬようにと見張りの兵を戸口に立たせた。それから、この東の門を開いて討って出て、ガルガンチュワの救援に赴いたのである。》p221

 城は落ちるべくして落ちた。「全軍を原野に展開させ」だの「輩下の武士数隊を率いて突撃」だの「左手の丘陵を占領」だの「砲兵隊の攻撃を開始」だのといったみじかい記述に刺激されるだけ刺激されたのに、あんまりあっさり終わって拍子抜けだから、おさまらないこの気持は宮崎駿の『風の谷のナウシカ』漫画版で勝手に補完しておくことにする。ラブレーは次回へ続く。


風の谷のナウシカ 3 (3) 単行本の7冊を通し全篇が戦争状態という物語下にあって、『ナウシカ』第3巻後半の戦闘シーンは出色の出来だと思う。土鬼の城を占領していたトルメキアの辺境部隊が、いまや装備を整えた敵大軍にとり囲まれて全滅も時間の問題、援軍も来ない、というところにクシャナが帰還する。
 ここからはじまるトルメキア第三軍の突撃作戦を描いた数十ページには、何度読んでも舌を巻く。兵力で圧倒的に劣るため、奇襲で一発逆転を狙うしかない状況を生むにいたった軍内部の確執を書き込む前準備もさることながら、そこには何よりも、敵の大人数を少人数で引っかきまわす小気味よさがあふれている。

 クシャナを先頭にした精鋭部隊が味方の撃つ大砲の煙に隠れて突撃、敵の攻城砲を破壊してまわるという無茶な戦略(クロトワの意見は「兵学校の答案なら零点」)に説得力を与えて描き切った宮崎駿の絵の力は、やはりちょっとどうかしていると思う。
 基本は騎兵戦なので、みんな騎乗して走る。このひとに描かせると、何十人かの人数からなる部隊が、たしかにそれだけの数を伴って走っているように見える。異様にスピード感のある小部隊の動き、心ならずも参加したナウシカの独走を追ってコマを眺めていると、こちらにも地形の起伏まで伝わってくる気がした。ひとつひとつは止め絵だというのに、思い出そうとすると、駿の絵は動いている。
 手塚治虫の『新宝島』が出た当時の子供みたいな感想を書いたが、このシーンに駿が相当力を入れていたのは事実のようで、漫画の連載完結後に行なわれたインタビューのなか、駿はここをみずから絶賛していた。前後もいろいろ感慨深いので引用してみる。11年前の話である。
《――庵野君がクシャナを主人公で一本つくりたいと前からラブコールを送っています。結構面白いのが出来るような気がしますが。

宮崎 駄目ですね。つまらないものが出来る。
 彼は、戦争ごっこをやりたいだけなんだもの。戦争ごっこは僕は嫌いじゃないけど。僕が三巻目に描いた戦闘場面なんていうのは、非常にうまく出来ていると思うんですよ。ざまー見ろというくらいうまく出来ているという、まあ愚かな自慢です。戦争を描くならこのくらいのことを描けと、そういう見栄も僕にはありますから。
 でも「ナウシカ」は、戦争を描くまんがではないから。

――でも、(執拗に喰いさがる)その優秀な前線指揮官としてのクシャナの一時間半の活劇というのはなぜ駄目なんですか?

宮崎 くだらないですね。最低です。最低になるのに決まっているじゃないですか? そんな企画しか思いつかなかったら、映画をつくることを辞めた方が良いですよ(笑い)。優秀な前線指揮官の映画なんか、アメリカの先達がいくらでも作っているじゃないですか。「コンバット」とか。

――それはそれで。

宮崎 映画にできる内容なら自分でやります。》
「COMIC BOX」(1995年1月/vol.98)p21

 では「ハウル」の戦争はあれでよかったのかと思わなくもないが、かえすがえすも11年前の話である。
 戦闘シーンにわくわくする気持は私ひとり十二分に補完されたので、『ガルガンチュワ』に戻る。今日書いてることはいつにもましてぐだぐだだが、壊滅したレルネの軍もぐだぐだだった。
《ピクロコルもその輩下の兵たちも、万事休すと知ったので、四ほう八ぽうへと潰走してしまった。ガルガンチュワは、敵兵どもを打ち殺し薙ぎ倒しながら、ヴォゴドリー付近まで追撃して行ったが、ほどなく停戦の合図を打ち鳴らしたのである。》p221

 土鬼でもトルメキアでも妃殿下でも少年兵でも戦争は相手を「打ち殺し薙ぎ倒」すことだというのが『ナウシカ』に書いてあることだった。
 ここからあとは戦後処理になると思われる。

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