2006/08/04

「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を読んでみる  その34


[前回…]

『ガルガンチュワ物語』を読まずに『未成年』を読む日記の続き。

 上巻→中巻ときて、下巻で唐突に「聖人」が登場するので驚いた。今日読んだ下巻最初の100ページはその老人をめぐるエピソードに終始して(彼と主人公の立場関係は絶妙だった)、しかしよくわからないのは、その短くない部分がまるごとなくなってもメインの話は通じるような書かれ方がされているからだった。とはいえ、実際に書かれ挟みこまれて小説のなかに相応の位地を占めているからには、作品全体に欠くべからざる影響を及ぼしちゃっているのだろうがなんだかやっぱり変な小説であるよ。ゾシマ長老(『カラマーゾフの兄弟』)の先兵なんだろうかと皮相な感想。
《「無神論者というものは」と老人はしんみりした声で語りつづけた。「わしは今でも恐れておるかもしれん。ただな、アレクサンドル・セミョーヌイチ、こういうことをいっておきたい。わしは今まで一人も無神論者に出会ったことがない。わしが出会ったのは、ただ落ち着きのない人間ばかりだ」》下巻 p60

「ただな、アレクサンドル・セミョーヌイチ、こういうことをいっておきたい」。この呼吸はすばらしい。ロシアの人名はずるいよ、とか思ってページの端を折っていると、すぐあとにこんな言葉もあった。
《「[…]それから、ある人は本を読んでも、ただ自分の気に入った言葉の花ばかり抜き出して、喜んでおる。そういう人間は、必ず空な心配にあくせくして、しっかりした判断ということがない」》


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