趣味は引用
「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を読んでみる  その31

[前回…]

 戦争の途中で止まっている『ガルガンチュワ物語』に戻るため、さっさとドストエーフスキイ『未成年』を読み終えてしまおうと思ったのが1週間前だった。まだ上巻の中盤である。なんでだ。
 退屈でも読みにくくもないので(ドストエフスキーが退屈なはずがあるか)、たんに今の私が読書する気持になってないからだと思われる。7月の1ヶ月間で、たぶん4冊しか読んでないよ。活字中毒でも、本がないと落ち着かないわけでもない、ふつうの人間がこのブログを書いています。「ドストエフスキーの長篇は3日で読める、というか3日以内で読まないと忘れる」(大意)とは佐藤亜紀の言だった。

 ――とか書いてから『未成年(上)』をめくっていたら、ああ、こりゃやっぱりドストエフスキーだわと実感される対話シーンがあったのでうれしくなった。当たり前だ、ドストエフスキー読んでるんだから。主人公の青年アルカージイは私生児で、ペテルブルグを訪れて愛憎なかばする父ヴェルシーロフにまみえる。
《「ええ、ぼくはお母さんの純潔なことなどいってるんじゃありません! お母さんはそんなことをいうまでもなく、いつでも精神的にあなたなぞより無限に優れていたのです。ごめんなさい、こんないい方をして…… しかし、お母さんは無限に優れた死人にすぎません。生きているのはただヴェルシーロフ一人きりで、その周囲にいるもの、それに繋がれているすべてのものは、自分の力で、自分の生き血で彼一人を養い、しかもそれを光栄としなければならぬという、避くべからざる条件の下に、意気地なくふるえている有様です。しかし、お母さんだって、いつかは生きていたこともあるでしょう? 実際あなたも、お母さんの持っているあるものを愛したんでしょう? ねえ、お母さんだって、かつては女だったことがあるんでしょう?」
 「アルカージイ、そうきけばいうがね、あれは一度も女だったことがないよ」以前わたしに対するとき必ず見せていたいやな表情で、たちまち顔をしかめながら、彼はこう答えた。それはいつもわたしを逆上させた、忘れようにも忘れられない彼の癖だった。つまり、ちょっと見ると、彼自身、純真そのもののように思われるのだが、よく眺めていると、彼の体内にあるすべてのものが、深い深い嘲笑にすぎないのである。こういうわけで、わたしはどうかすると、まるで彼の顔を判別できないことがあった。「そんなことは一度もなかった! ロシヤの女はかつて一度も女であったことがないよ」》上巻 pp250-1 太字は引用者

 これくらい奔放に書いてもらえると、やっぱり小説読むのは楽しいなあ、と思われるのだった。描写がフェアかどうかなんて、唯一絶対の尺度なんかではぜんぜんない。ましてラブレーなんて巨人の馬鹿話ですからね、と一言だけ触れたので、今日の日記も「読んでみる日記」とする。

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