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「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を読んでみる  その16

[前回…]

 ガルガンチュワの英才教育は失敗に終わる。
 詭弁哲学の大学者を家庭教師につけて、ラテン語で書かれた古典を次から次へと読まされたのだが、結局のところ何も得るところはなく、《更に悪いことには、頭が変になり、薄のろになり、すっかりぼんやりして、ぼけてしまった》(第15章 p87)
 役に立たない勉強に明け暮れた年月は、「5年3ヶ月」+「13年6ヶ月と2週間」+「18年11ヶ月以上」+「16年2ヶ月」と書いてあるから合わせて54年近く、と計算されるのだが、これも例によって“大げさな列挙”の類かもしれない。これだけ詰め込み教育をさせられたガルガンチュワよりも、近所の小姓であるユーデモンという少年の方がよほど賢かったのである。

 これはまずいと考えた父王グラングゥジエは――そりゃまずいだろう――当世のフランスの若者たちの勉強ぶりを見聞するために、ガルガンチュワをパリへやることにする。
 前述のユーデモン、ユーデモンの師匠ポノクラート、さらにたくさんお供の者がついて、ガルガンチュワは、アフリカ産の巨大な牝馬に乗っていくことになった。この馬、大きさは象6頭分もあるというから驚きで、その姿がくだくだしく描写されるのだが、そのくせ出発してから約1ページで一行はパリに着く。あいだに挟まれるエピソードは、件の牝馬が途中の森で蜂の大群に襲われ、尻尾を振り回したら森全体がなぎ倒されて田畑になってしまった、というひとつだけである。
 もっとないのか、こう、珍道中めいた話が、と拍子抜けしながら読み進めてみるに、どうやらラブレーは、早く次の場面を書きたかったのではないかと思われる。
《一同が数日の間休養してから、ガルガンチュワは市内を見物したが、誰も彼もが、その姿を見て、すっかり感歎してしまった。何しろ、パリの市民たちは、実に阿呆で、野次馬気質があり、生れつきのらくらしている連中だから、そのお蔭で、大道曲芸人や、聖人の遺物を担いで贖宥符を売る連中や、首に鈴をつけた騾馬や、四辻のまんなかにつっ立った琵琶法師などの方が、歴とした福音伝道師よりも、人を沢山に集められることになるしだいだ。》

 パリの阿呆たちにうるさくつきまとわれたガルガンチュワは、牝馬が蜂を追い払ったように、しかしそれとはまたちがったやり方で、群集を追い払う。たぶんこれは名場面である。
《彼はノートルダム大聖堂の塔の上へ腰をおろして一息つかねばならなくなった。そこへ落ちつくと、そのまわりを大勢の人が囲んでしまったので、彼は音吐朗々と、こう言った。
 ――この野郎どもは、ここで披露目の挨拶なり歓迎の礼返しなりをしろというのだな。なるほど、もっともだ。酒でも振舞ってつかわすとするか。だが、こいつは、ただ冗談事[par rys パリだけということにしよう。
 そこでにこにこしながら、見事なその股袋[ブラゲット]をはずして、その一物を宙に抜き出し、人々めがけて勢い劇しく金色の雨を降らしたので、そのために溺れ死んだ者の数は、女や子供を除いて二十六万四百十八人であった。》第17章 pp93-4

 それまで「リュセース」と呼ばれていたこの町の名前が「パリ」に変えられたのは、この出来事のためである――、とラブレーは断言する。

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