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2006/05/20

「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を読んでみる  その15


[前回…]

《しかし結論といたしましては、産毛のもやもやした鵞鳥の子にまさる尻拭きはないと判断し且つ主張する者であります。もっとも、その首を股倉に挟んでやるのが肝腎です。これは、僕の名誉にかけてお信じくださりませ。と申すのも、鵞鳥の雛の産毛の柔らかさと言い、そのほどよい加減の暖かさと言い、お尻の穴に、得も言われぬ心地良さをお感じになりましょうし、鳥の体の温かさが、忽ち直腸[くそぶくろ]やその他の臓腑にも伝わり、遂には心臓や脳味噌のあるところにまで達するからでございます。》(太字は引用者)

《得も言われぬ心地良さ》 ガチョウ。鶏や兎や鳩まで試したガルガンチュワが、満を持して発表したベストチョイスがこれだった。この書かれぐあいから肌ざわりを想像すると、正直、なんだかむずむずしてくるのを禁じえない。
 それにしても気になる。ここで指定されているポーズ、これはまるっきり“おまる”じゃないだろうか。おまるといえばアヒルだが、アヒルもガチョウも似たようなものだ。飛べない鳥をつかまえて排便だの尻を拭くだの、人間とはなんて勝手な生き物なのか、と、心にもないことを書いたのは、おまる=アヒルが日本独自の定式なのか、16世紀フランスからひろく共有されてきたものなのか、調べたくてもどう調べればいいのかわからないのが悔しかったからで、なにしろ2006年の今日では、単純に“おまる”の一語で検索した場合、トップ近くに発見されるのはこんなものなのである。 →こんなもの

 リンク先の彼に代わってひとこと言いたい。食べ物だ。
 変なカバに「おなかが空いた」と泣かれれば、すすんで自分の一部を分け与える姿が、彼の彼たる最も典型的なあり方だったのに、この使われ方は真逆である。インプットからアウトプットまで他人の生理現象の面倒を見させられるとは、ここまで酷使され虐げられたヒーローがかつていただろうか。上記画像に写る彼の笑顔が、私には、生みの親である工場主へ向けられた呪詛の表情に見えてならない。なにがきみのしあわせ。
(そういえば、尻を拭くのに使われた鵞鳥もまた、おそらくは肝臓までフォアグラとして食われるのだろう)

 ここで衷心からひとつ忠告をしておくと、“おまる”でGoogleのイメージ検索をすると地獄を見る。なんとなれば、その結果画面には、全国の悪意なきママたちが自分のブログにアップした、わが子のおまる使用写真が山ほど並ぶことになるからだ。まさか本番を撮影したのではないだろうと思いたいが、しかし、そのおまるがまったくの未使用品ということもないはずだ。私が子供で、親にそんな姿をアップされたと知ったら家出する。意地でも家出する。いっそおまるに乗って家出する。
 しかし一方では、こうも思った。

 どんなブログも、多かれ少なかれ、おまるなのだ。

 いやちがった。そうじゃない。そんなことは思っていない。私があらためて痛感し、忘れないようにしようと考えたのは、このブログも、どんなブログもウェブ日記も、書いている当人以外からすれば、おまる写真と大差なく見えているにちがいないということだった。だから私は、わが子とはいえ、他人におまるを使わせて写真を撮るような真似だけはしたくない。おまるには自分で乗る。『ガルガンチュワ』は自分で読んで、自分の感想を書いていく。ところで、鵞鳥の話だった。
《従って、天の楽園に居られる英雄たちや半ば神様になった方々の福楽は、この近所界隈の婆様方の言われるように、天国に生えるしゃぐま百合や神膏や神酒やらのお蔭だとは思召されぬようにお願いいたします。この福楽は、(僕の説によりますと、)これらのお方々が、鵞鳥の子で尻を拭かれることに由来いたしますし[…]》第13章 pp83-4

 ガルガンチュワ、このとき5歳。末おそろしい子供である。父王グラングゥジエはわが子を神童とでも思ったか、立派な教育を与えようと思いつく。神童かどうか以前に巨人なんだからほかに考えようがありそうな気もするが、そこのところのいじましい親心は巨人も人間も変わらないのだった。かくしてガルガンチュワの英才教育が始まる。

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