趣味は引用
ローレンス・ノーフォーク『ジョン・ランプリエールの辞書』(1991)
ジョン・ランプリエールの辞書
青木純子訳、東京創元社(2000)


 内的動機により今月中に読まないといけなかった本、その2。
 時に1787年。英仏海峡に浮かぶジャージー島で生まれ育ったジョン・ランプリエールは、22歳にしてギリシャ・ローマの膨大な古典に通じた、脅威的な読書家である。当時としては珍しい眼鏡をかけたこの学究肌の青年が、ある日突然勃発した悲劇から、不可解な事件の連鎖に巻き込まれていく。ロンドンに渡り、何やかんやで神話の辞書を書くことになった彼は、四六時中自分を監視する目があることにまだ気付いていない……
《「辞書、そうだった。辞書はきわめて重要だからね」最後の言葉に力がこもる。「できるだけ早く始めるといい」
「さっそく今夜から取りかかりますよ」ランプリエールは自信たっぷりに言った。》P161

 長い。すごく長い。その全篇が終始、流れるように進む。ランプリエール一族の呪われた因縁とは何か。身の回りの人物・出来事が姿を変えていくのは、彼が書き続ける辞書の記述と呼応しているのか。波瀾万丈、盛りだくさんの事件。

 結局のところ、この長篇にあらわれる奇怪な物事のすべては、歴史の陰にひそむ秘密組織、彼らの仕組んだ陰謀、に収束する。これはネタばらしではない。時代劇が勧善懲悪で終わる、というのと同じくらいの前提だ。いっそ形式とさえ言える。撒き餌のような数々の謎のあいだに線が結ばれる過程から、秘密組織の正体が徐々に見えてくる。いくつかの大きな謎には、小説の最後半、彼らの目論みがどんなものだったかが明らかになるなかで、そこまでのページを一挙にさかのぼり答えが与えられる。
 たぶんおそらく、「そうやってすべてを陰謀にまとめて解決させる作り方は安易じゃないか」とする非難は的はずれなんだと思う。なにしろこれは、秘密組織の構成員が卓を囲んで会議をする小説なのである。そういうものとして楽しめるのだし、まさにそういうものとして物語を充実させる方向に作者は邁進してくれている。不健康な活字中毒者だったはずのランプリエールが、故郷を離れると一転、いかにもヒーロー然として飛び跳ねたり恋愛に身を焦がしたりする姿には、「キャラとして変だろ」というのではなく、「役割としてそうでなくちゃいけない」と拍手を送りたい。「ちょっと長すぎやしないだろうか」という疑問は、「その長さのあいだこちらを楽しませてくれる」と言い換えられないこともないだろう。たくさんの材料を関係付けて持ち込むのに便利な枠組みが陰謀である。「これとあれには関係があったんだよ!」という発見によって作られる(もとからあったものとして、あとから作られる)のが“陰謀”なのだから。
 つまり、殺人、東インド会社をめぐる密計、フランスの新教徒弾圧から、猥雑な18世紀ロンドン・パリの描出まで、さまざまな要素を詰め込んでいても、この長篇はたいへんシンプルにできている。重厚そうな雰囲気を漂わせながら、物語の最後まで、書法の面での(たとえば、語りの基盤が雪崩を起こすような)仕掛けはなかった。「長い、長い」とはいえ、何が書いてあるのかわからない、読みにくくて引っかかるような部分はない。断言する。ひとつもない。
 そのあまりの正攻法っぷりに肩透かしをくったような気持ちが残るので、ここまでこのような書き方になってしまった次第だが、それは私が、小説にしろ映画にしろ漫画にしろ真っ当な物語の経験を積んでいない未熟な受け手であるために息切れしたからではないかと考えられ、先日も今日も、この作品についてはっきり態度を決められないでいる。ゴールへ向かって一直線、という形式は、別にそれ自体が安易なわけではないはずだ。しかし、どうせこっちの方向でやるなら、核である秘密組織をもっと大きなものとして妄想してくれてもよかったのではないか、とだけは言えるように思う。
 この『ジョン・ランプリエールの辞書』、私は半値以下の古本で買ったが、定価は5000円もするからなかなか人には勧めにくい。来月、文庫で読む人たちの感想をちょっとウェブで見てみたい。

 以下余談。
 陰謀の小説は、たぶん大人の楽しみである。大人は、フィクションで目にした「陰謀に基づく世界観」を現実の世界にまで適用して、特定の組織・集団を何ごとかの黒幕と考えたり、自分たちの不利益から利益を得ているわかりやすい悪意のシステムが存在すると信じ込んだりはしない。しかし大人じゃない人間は意外と多い。
 目に見える世界の背後にどうしても陰謀の影を見てしまう人間の心性を扱ったウンベルト・エーコ『フーコーの振り子』(1988)のような企みは、『ジョン・ランプリエールの辞書』では目指されていない。だから、「陰謀があるのではないか」というところから出発したくせに「あるのかないのかわからなくなる」地点までぐるりと回り、その運動に乗せていくつかの世界観を提示する、そしてよくわからないまま終わる、トマス・ピンチョンの諸作品ともまったく違う。ところでノーフォークは、この長篇のあちこちで(とりわけ酒場でのバカ騒ぎや、災害を列挙する部分なんかで)あからさまにピンチョン『V.』(1963)の文体模写をやっており、妙にうまいのが面白かった。ゴールに向かって一直線の方面では、セオドア・ローザック『フリッカー、あるいは映画の魔』(1991)に登場する秘密組織が素晴らしくバカバカしくて感動的だった。ただ、あの長篇は下巻の途中で――未読の人の興を殺ぎそうなのでよします。



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