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2006/03/05

スケッチブックと卵菓子 その2

[前回…]

 さっきのはタイムテーブルというにはあまりに杜撰だが、正直に白状すると、あれだけ表にしてみてはじめて「タイトルは『七夜』なのに六夜しかない」のを実感できた。私はその程度の読者です。

■気になったこと [◎と○の使い分けについては後述]

○ 2日目の前半(劇場に行くより前)の出来事をナダンが書いたのは、メモったように、博物館からホテルに戻った夕方だと思うのだが、「ほんとにそうか?」という気もする。その根拠は《さっきからすくなくとも一時間、ぼくはここにすわったままロウソクの炎を見つめている。そして、部屋の窓の外の鎧戸にときどきなにかがぶつかる音に聞き耳を立てている。》(P233)というのがなんだか深夜っぽい、というだけなんだけど。↓のふたつも含めて、ここらへん、記述にもたつきがあるように見える。仮に、2日目は1回しか日記を書いていない、老人を送って帰ってきてからこの日の出来事をまとめて書いたのだ、とすれば、劇場に出かける前にナダンがしていたという「書きもの」とはなんだろう?(「書きものをしていた」じたい嘘かもしれない。右手の指が疲れる別の作業をしていたのかも)

◎ ↑で引用した部分の続き、《実をいうと、自分の心にはいりこんだ不安に麻痺している――それがどこからきたのかはわからない。その不安はきのうからはじまり、どんどん強まってきた。》このナダンの「不安」とはなに? 素直に読むとドラッグのことのようだが……

◎ さらに↑に続けて、234ページで《ようやく不安が消えた!》というのはいかにも唐突じゃないか。この単行本ではちょうどページの変わり目になっているが、前ページとこのページのあいだには切れ目(一行空き)がある。《すべてを書きおわったいま、ぼくはあの疑惑を完全にふりはらうことができた。》 これまた素直に読むと、「疑惑」とは、船上でドラッグを盛られたかもしれないということのようだが……

○ 2日目夜、劇場で再会した老人の語ることは謎だらけ。とりわけ、筆跡をまねることのできるらしい機械の存在(P247)は読者にとってあまりに罠っぽい。同じページ、第三幕の始まる直前にナダンに見せられた空白の紙はいったい……

○ 5日目の朝、「アメリカ風の朝食」を食べたナダンは、まわりの客を見て「明日」は「卵料理や、オーブンで温めたパン」を試すつもりだとわざわざ書いている(P283)。しかし翌日の日記にはその記述がない。6日目の日記は内省のあと「十一時ごろ」のことから始まる(P296-7)。朝食は食べたのか。食べたのに書かなかったとしたら理由はあるのか。
 ※もちろん、これが食べ物日記ではない限り(ないと思う)、書いてない→おかしい!とは誰にも言えない。

○ 5日目、アーディスはテリーが消えたことをボビーに知らされる前から「知っていたにちがいない」(P291)という。これが何を意味するのか、最後まで具体的な説明はない。アーディスがテリーを売ったとか、テリーが(必要があって)姿を消すのに彼女が協力したとか、そういうことか?

◎ 5日目の真夜中過ぎ、アーディスと寝たあとホテルに戻ったナダンは部屋の異変に気づいて想像をめぐらせる。
《最悪の場合を想定することにしよう。ぼくの部屋を調べるよう命じられたスパイは、日記のページを撮影する器具をもっていたかもしれない》P289
 スパイってなんだ? ここまで、スパイに関する記述はなかったと思うのだが、人間、取り乱すと本心をボロリと洩らすこともあるとすれば、この「■気になったこと」の2番目と3番目に書いた「不安」「疑惑」とは、スパイに関係するのではないか? ナダンは何者かにスパイされるような活動をしていたのか?

○ ナダンはどうしてボビー(ボブ・オキーン)のことを「クレトン」と役名で呼び続けるのか。『メアリー~』での「ハリー」より、『ある小惑星~』での「クレトン」の方が印象深かったらしい記述はあるが(P268‐9)…… P291には「クレトン」「ボビー」の混用があるものの、すぐにまた「クレトン」になる(アーディスが「ボビー」と呼んだのに引きずられただけかもしれない)。
 ナダンによって「クレトン」と呼ばれる男はボビーの他にもいるのでは?
(根拠なし。アーディスとは違いこの男には興味がないから、でいいようにも思う)

○ スケッチブックはどうなったのか。スケッチしてる場合じゃなくなったと言われれば私は納得するが、ボビーに盗まれかかったあと、ナダンはスケッチブックをどうしたのか。記述がないのは意図的ではないのか。

○ 日記の最後の最後、タイムテーブルでも引用したところ
《あのあと、クレトンがぼくの部屋の前の廊下を歩きまわり、ゆがんだ黒靴の足音が、地震のようにこの建物をゆるがした。“警察”という言葉が、まるで雷鳴のようにひびいた。ぼくの死んだアーディスは、とても小さく、まばゆい姿でロウソクの炎の輪から出ていき、毛深い顔が窓からのぞいていた。》P304
 これは何? なぜまた唐突に“警察”を恐れるのか。うしろめたいことでもあるのか。(はっきり書かれてはいないが、私はナダンがアーディスを銃殺して帰って来たのだと思う。それだけだろうか、と思うのは前述の「スパイ」の件があるから) そしてやっぱり、なぜクレトンが自分の部屋に来るのか(来たと思うのか)?

???

■小説の幅を狭めてみる

・書かれていることを、基本的には信用して読む。
・とはいえ、意図的な嘘や事実の隠蔽は確実にあると考えて読む。
・しかしながら、あんまり嘘の幅を大きくとるとこの「手記」が宙に浮いてしまうので、ナダンは何か重大事についてのみ嘘を書く、と考える。

 たとえば、「ナダンはイスラム社会やヤースミーンに嫌気がさして、ひそかにアメリカに消えるつもりで出発した、手記はその言訳として捏造された」なんて読みもありえなくはないと思うが、そうすると「ナダンは小説を書いた」と同じことになり、たしかにそれもありえなくはないのだが、すると卵菓子も削除もどうでもいいことになる。やっぱり私はこの小説を、もうちょっと限定されたたくらみのもとに書かれたものとして読みたい。

→ で、上に書いたことをまとめると、ナダンは相当したたかなやつだという先入観でもって読むことになる。未知の世界を自分の目で見たくて、またはむかし夢中になって読んだ冒険記のようなものを自分でも書きたくて、それだけでアメリカにやってきた男の正直な手記としては読まない。
「どんなふうにでも読めるようにする」のを目標として書かれているだろうこの中篇を、そういうものとして読むにあたって、上記「■気になったこと」であげた◎印の疑問を考えてみたい。あ、その前に、この引用は必要だと思う。

《「[…]見たところ、きみはとても裕福らしい。たとえそうでなくても、とにかく裕福だということにしておく。ここでのきみの仕事は?」
「アメリカの美術や建築を勉強しています」
「じゃ、きみの国ではきっと有名人なんだろうな?」
「アホン・ミールザー・アフマクの弟子なんです。彼が有名人なのはまちがいなし。三十年前に、彼はアメリカを訪問したこともあります。こちらのナショナル・ギャラリーで写本絵画を研究するために」》P272-3

《[…]その場合は、わが不朽の民族の女たちの清浄な子宮を二度とけがすことのないよう、ぼくは帰国をあきらめなくてはならない。なんなら、われわれの民族遺産である写本絵画を盗みにはいって、わざと警備員たちに殺されるか――だが、もし盗むのに成功したらどうする? ぼくは写本絵画にふれる資格がない。》P304

[…続き]

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