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2004/03/31

ウンベルト・エーコ『フーコーの振り子』(1988)


前回…] [目次

フーコーの振り子〈上〉
藤村昌昭訳、文春文庫(上下、1999)

《関連性はどこにでも転がっている。ただそれを見つけ出そうという意欲さえあればいいのだ。》上巻p387

 きっと面白いと確信して買ったまま4年間放置していたが、いざ読んでみるとやはり面白い。しかしその面白さは予想していたのとちょっと違う。

 小さな出版社で一緒になった主人公たち三人の男は、無数の陰謀史観や神秘主義など、素人著述家たちが持ち込んでくるトンデモ原稿の山(「ムー」数十年分)に心底うんざりし、いっそ自分たちでそれらを繋ぎ合わせ、すべての謎を説明できる究極の説を編んでやろうと思いつく。
《「世界に現存するあらゆる秘密結社の年鑑をフランスから送ってもらったが、どうして秘密結社の年鑑が一般に公表されておるかということは訊かんように」》上巻p456

 かくて小説は、聖杯伝説やノストラダムス、占星術に占数術、カバラから地球空洞説その他のオカルト大集合といった様相を呈する。テンプル騎士団の残党が、ある『計画』に従い世界を支配しているという方向でこれらすべてを(そう、すべてを!)結び付けようと知恵をしぼる三人の推測は次第にエスカレートし、どんな事象も意味を隠した暗号となる。ミッキーの恋人がミニーであるのは何故なのか?
 ついに壮大な冗談として『計画』は完成するが、読者の期待を裏切ることなく、同時にこの『計画』にあらゆる点で合致する組織が三人の前に姿を現して、彼らに現実の危険が及ぶ。
 すべては作りごと、嘘だったはずだ。しかし事実が虚構に先行した以上、主人公たちは「秘密を暴いてしまった」のか。いや、そもそも秘密とは、それを解明しようとする行為によってはじめて生み出されるものではなかったか。

 これは、どんな陰謀も信じないために陰謀を捏造した者たちをめぐる物語である。計1100ページを越える120章に、意味を見出そうとする欲望、物語を作らずにいられない人間の心性が充満する。そしてここが何より興味深いのだが、開陳される陰謀のひとつひとつ、引用、ほのめかしの数かずがどこまでも深く読み込めるよう書かれているに違いないという確信のために、この長篇は猛烈に早く読める。いいかえれば、この物語はたえず読者を物語の外部に置こうとするのだ。
 であればこれは、物語からの解毒剤であるだろう。しかし困ったことに、解毒剤にさえ中毒できるのが物語の読者であることを、エーコは知りぬいている。以下次回。
…続き

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