2004/05/02

筒井康隆『文学部唯野教授』(1990)

岩波書店

《「たとえばこの『文学部唯野教授』って小説を書いているのは筒井康隆だけど、今ぼくが筒井康隆って名を出したとたんに彼はこの小説の中へ引きずりこまれ、メタ物語的になっちまって、おれたちよりは上だけど、語り手としては水準が下がったってわけだよね」》P263

 こういうあからさまな書き方はこの長篇にとって瑕じゃないかとも考える一方で、「こうでなくちゃ」と感じ入る心性はいまだに否定しがたい。いずれにしろ、筒井康隆という職業小説家が、作品で実践する前衛さかげんからすれば不釣合いにみえるくらい読者に親切であろうとしてくれているのは間違いない。ありがたいことだと思う。

 虚構であることを意識して書かれ読まれる小説の方法論をおおっぴらに模索しながら実作を進めていたらしい80年代以降の筒井作品と、それよりも前、まだ一般文芸誌に発見されていなかった頃の作品とでどちらの方が面白いかという問題は、読む人それぞれの立場がからんでくるのでつまんない話である。日本SFなるものに特に思い入れのない自分には、どっちの筒井も同じにみえる。

『唯野教授』の各章は、大学の学内政治を舞台にした三人称パート(唯野が匿名で書いた小説は「芥兀賞」をとる)と、唯野のひとり喋りによる講義部分からなる。講義を饒舌体でまとめる負荷の反動なのかもしれないが、三人称の文章はときどき筆がすべったように軽く流れる。もちろん、そこですべれるとさえなかなか気がつかないすべりかただ。制約を知ることでそれをいじれるということか。そしてこの小説で最も過激なのは、一見さりげないそのような部分ではないかと思う。
《ふらふらしながらベッドに戻ると電話が鳴った。てっきり番場からであろうと思い、唯野は受話器をとった。
 番場ではなかった。「マスコミ各社ですが」》P275

「それはただのギャグだ」といわれるかもしれない。自分だってそういってるつもりなんである。

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