2005/11/05

追記


 相変わらず、私の感想文は読みにくい。なんかごてごてして暑苦しいんだよな。

 こちらは山形浩生の『ディフェンス』評。結末まで書いてあるので注意(結末がわかったからなんだ、というのがナボコフの小説だけど、それはともかく)。
 → http://cruel.org/cut/cut200102.html

 例によって訳者の読みにも文句をつけているが、当の若島正は『ディフェンス』について、いちばん本質を衝いていたのは山形浩生だと言っている(若島サイトの「ただしの読書日記」から、2003/3/6分を参照)。
 どっちもクール。
 (※サイトが整理されて読めなくなったようです)

 で、調べてみたら『ディフェンス』は絶版なのだった。まだ書店の棚で見かけるが。『ロリータ』効果で、新しく生まれ変わったらしい河出文庫に入ればいいなと思う。
 んで、私があっさり『ディフェンス』にやられたのは、「作者に、つまり小説に翻弄される主人公」がそこに描かれていたからで、言い換えればそれは、定められたストーリーに抗おうとして勝てるはずのない戦いを挑み、当然ながら敗北する主人公の姿を主要な題材にしているということなのだが、どんな小説だってある程度はそのようなものとして読めるのを認めたうえでなお、同じ構図を別の目的のために使った作品として、『ディフェンス』(1964)の影はピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』(1966)に色濃く落ちているように見えてならなかったからだった。
But the private eye sooner or later has to get beat up on. This night's profusion of post horns, this malignant, deliberate replication, was their way of beating up. They knew her pressure points, and the ganglia of her optimism, and one by one, pinch by precision pinch, they were immobilizing her.

《しかしながら私立探偵がいつかは痛い目に遭わされるというのは避けられぬこと。今夜見たおびただしい数の郵便喇叭、この、悪意に満ちた、意図的反復、これが彼らなりの痛めつけ方だ。彼らはエディパの体のどこを押せば痛みを感じ、どこに楽天主義の中枢があるかを知っていて、一歩一歩、正確な場所を一つ一つつまんで、彼女を動けなくしているのだ。》邦訳版 p154