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2005/10/25

私のために


 冷静をもって知られる友達が、ある小説を読んで《ひょっとして俺の為に書かれたのではないか》と一瞬本気で思い込みかけた、とブログに書いていた。このうえない賛辞だと思う。
 私はものすごくミーハーで簡単に心が動くから、ちょくちょく似たような感想を抱いては「またかよ」と自分につっこみを入れている。われながらありがたみがない。
 それでも、ここ半年くらいで読んだ中では、ナボコフの『ディフェンス』(河出書房新社)が面白かった。面白かったというか、ただ圧倒された。「作中の登場人物をひたすら翻弄し、それを読ませることで読者のこともひたすら翻弄する作者」の存在が、これほどはっきり立ち上がってくる小説はあまりないと思う。
 来月末、新訳『ロリータ』が出る前にもういちど読み返したいのだが、今日のところは、さんざんページの端を折って線を引いた中から、もっとも鮮烈な一部分を引用するだけにする。
[…]彼女はとりたてて美人というほどでもなく、小作りの整った顔だちにはどこか欠けているものがあり、まるで美人になれる最後の決定的な一押しが――造作はそのままにしてそれを歴然と引き立たせてくれるような一押しが――、生まれつき与えられていなかったような具合だった。しかし二十五歳で、流行に合わせてショートカットにした髪もこざっぱりとして素敵だし、顔の角度によっては、一瞬申し分ない美貌に見えないわけでもなく、本物の美人にいま一歩でなりそこねた顔に見えることもある。身につけているのはごくあっさりした柄のごく上等のドレスで、腕と首が露出しており、まるで柔らかな肌をちょっぴり見せびらかしているように見えた。》p86

 「お前の好みは不可解だ」と罵られ続けて苦節10年、ここにすべてがある。何者だ、ナボコフ。
 いや、「読者を翻弄する」って、そういうことではないのだが。

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