趣味は引用
『世界は何回も消滅する』続き

 次はマックス・アップルという作家のエッセイ。
《いまこうして文章を書いている人間は、生まれてこのかた、小エビもフィレ・ミニヨンもハム・サンドウィッチもポーク・チョップもロブスター・ニューバーグも食したことのない人間なのだ。いや、平凡で昔ながらのありふれたチーズバーガーさえ食したことがない。[…]野菜のショートニングでつくったグラハム・クラッカーはなかなか見つけにくいし、マシュマロは年に一度の御馳走で、過越しの祝いのときにニューヨークから届く。それは海草のゼラチンで固めてあって、とてもかちんかちんで海の匂いがぷんぷんだ。》
 どうしてこんなにも「偏食」なのかというと、この人はユダヤ人の家に生まれ、子どもの頃から「コーシャー(Koshes)」と呼ばれる食の決まりを守り続けているから、だそうだ。
 ミルクや乳製品には細かい分類がある。肉は、儀式にのっとって殺したものを塩漬けにして洗っていなければ不可。豚肉と甲殻類はダメ。臓物にも規則があるし、食器にもうるさい。魚と卵、野菜は可。ただし、サラダの中にハムでも入っていたら、それに触れた野菜はすべてタブーの側に落ちる。
《マイノリティもマイノリティな人間なのだ、わたしは。夕食にぜひ招いていただきたいが、みなさん、きっと気を悪くするな。「なんの御料理ですか?」とわたしが訊くとき、わたしは本気でその返事を待っているのだから。》

 当然、パーティーなんかに行っても食べられるものはほとんどないので、コーラと卵でしのぐことになる。ユダヤ人がみんなこうではなく、コーシャーに従う度合いにはいくつかレベルがあるらしい(ベジタリアンに似ている)。マックス・アップルは、最も厳格な遵守者であるようだが、筆致は「とほほ」な感じが基本になっていて、そこには、与えられた決まりを受け入れることで到達される余裕さえ見える気がする。
《たまらなくなってこれをやめたユダヤ人に優越感を覚えたことはないし、自分の食べたいものを食べるかれらや非ユダヤ人をうらやましいと思うこともない。意のままに食味を楽しむ自由には心を惹かれるが、しかし、サウジアラビアの豊かさもそうだが、そういうものはわたしとは縁がない。
 聖書の最高の言葉のひとつに、神自身による神の定義がある――「わたしはこういうわたしである」 わたしたちは、みんな、そうなのだ。》

 そういうもんかねと思いながら、これを読んでいるあいだ、私はドトールでミラノサンドのC(炭焼チキンとベーコンのバルサミコソース)を食べていた。おいしかった。