2005/10/20

『世界は何回も消滅する』続き


 ゲイル・ゴドウィン「かなしい女」は、めずらしく社会派かもしれない。家事と育児に生きてきたまだ若い妻(にして母)が、何不自由のないしあわせな生活の中でなぜか精神的にまいってしまう話で、1971年の発表。その気になれば都合よく時代なりなんなりを読み取れるのかもしれない。

 主人公は、とつぜん自分の子どもの目が灰色に見えるようになったり、わけもなく悲しくなってさめざめと泣いたり、泣きたいのに涙が流れなかったりして、部屋から出てこられなくなる。
《夫は服を脱がせて、羽毛ぶとんの下にフランネルのガウンを探した。彼女は素裸で、ブラだけが一本の肩紐で体の脇にぶら下がっていた。それを振り落とす元気もなかった。「たちまちのうちに眠れたらいいなあ」と言ってしゃっくりした。夫はガウンに彼女をくるむと、いったん部屋をでて、これなら効果てきめんだよ、と寝酒を持ってきた。》

 ありきたりに言えば“繊細にすぎる”、実際のところ“かなり面倒くさい”にちがいない女性の台詞として、「たちまちのうちに眠れたらいいなあ」はほとんど飛び道具である。日本語ネイティブの書いた日本語オリジナルの文章では、おそらく、こんな台詞は出てこない。翻訳しきれなかったぎこちない訳文のようで、自分のことを他人ごとのように見て漏らされた感想のようでもあり、その二重に距離のある感じが、短編全体を通して彼女を捕えている、現実からの乖離感覚みたいなものともうまく重なっている。
 ゲイル・ゴドウィンという作家の名前も、私はそのうち忘れてしまうだろうが、「たちまちのうちに眠れたらいいなあ」と発話する女性のでてくる短編があったことは、なかなか忘れないと思う。こんな台詞が、このようにわざわざ取り上げる真似は野暮であるように何気なく入っているあたりが、ほんとはいちばんすごい。だから「すごい」とか言っちゃいけなかったんだろうけど、もう書いてしまった。