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2005/04/01

カフカ『失踪者』(1912-14?)

失踪者
池内紀訳、白水社(2000)

 小説を読むのはそこそこ好きだが、引用するのはもっと好きだ。そんな私が「ここを引用しよう」と思うのは、何らかの理由で他より際立っているように見えた部分なのだが、「何らかの理由」がじっさいどんなものなのかははっきりしない。小説はどこだって同じ文章というものでできているのに、どうして「際立つ」なんてことが起こるのか?

 そんなことを思ったのは、この『失踪者』が、「際立ってみえる部分」=「引用したくなる部分」が大部分、という妙な小説に思われたからだ。大部分が際立っている、とはまた変な言い方だが、冒頭、こんな素っ気ない文章で小説が立ちあがるのが早くも不思議で仕方がない。
《女中に誘惑され、その女中に子供ができてしまった。そこで十七歳のカール・ロスマンは貧しい両親の手でアメリカへやられた。速度を落としてニューヨーク港に入っていく船の甲板に立ち、おりから急に輝きはじめた陽光をあびながら、彼はじっと自由の女神像を見つめていた。剣をもった女神が、やおら腕を胸もとにかざしたような気がした。像のまわりに爽やかな風が吹いていた。
 「ずいぶん大きいんだな」
 誰にいうともなくつぶやいた。》P7


 最初の数行は、文庫本の裏表紙によくあるあらすじ紹介のようでもある。そういえば、あらすじの文章と小説本文の文章がどうして違って見えるのかも、考えるほど謎である。

 書き割りのように平坦な世界で主人公が淡々とひどい目にあわされるのがカフカの小説だ。内面の独白はあるし、他人に窮状を訴えもする。しかし彼らの緊迫感は、目の前のページから浮かんで離れ、遠くに感じられる。生々しいはずのシーンでも、それを描く文章が変に素朴なために違和感がつきまとう(となると、それは生々しくもないのではないか)。
 カフカの文章は素朴でいてものすごく難解である。素朴な文章だから難解さが生まれるとして、しかし作品は「素朴すぎて意味がとれず難解」というのとも違う。ありえない状況を作中に取り込むには文章は逆に素朴なほうがいい、とまとめられれば話は簡単なのだが、それにしても、いったいこれはどんな世界なのか。
《グリーン氏がずんずん近づいてきたので、カールは壁に背中を押しつけた。グリーン氏は近づくにつれて、ますます大きくなり、カールはふざけて、ポランダー氏を食っちまったのではないかと考えた。
「なんていいかげんな人間なんだ。十二時と決めたのに、クララさんのドアの前をほっついている。しかるべきことを伝えると約束したぞ。だから来たんだ」》P99

《まごまごしているうちに時がたった。ホールの正面に時計があった。タバコの煙がたなびいているので、なかなか時刻が読みとれなかったが、やっと見定めたところでは、もう九時をまわっていた。》P121

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