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2005/09/07

青白い無題


 ナボコフのことで、引用と受け売りを少し。

 ナボコフに『青白い炎』という大作がある。下手な説明がここにあるが、要は、詩人ジョン・シェイドが書いた「青白い炎」なる長い詩に、学者チャールズ・キンボートが延々と注解を施した、という体裁の小説である。

 表紙から「ナボコフ」の名前を消せば、ぱっと見では本当の詩の注釈本として通用しかねないほど凝りに凝った作りなので、普通に読むだけでもたいへん面白いわけだが、ちくま文庫版についている訳者の解説によれば、原書の発表以来、「この詩と注解を書いたのは本当は誰なのか」をめぐる論争があるという。ナボコフの用意したゲームにのっかったうえで、さらに一歩を進めた議論であるわけで、こういうのは真面目にやればやるほど、素材である小説が充実していくかんじがする。

 世の熱心なナボコフ読者のあいだでは、「シェイドは実在しない。詩も含め、すべてがキンボートの創作」とする説と、「キンボートは実在しない。シェイドが自分の詩に自分で注をつけた」とする正反対の説があったらしい。文庫の解説で特に触れられていたのが、ブライアン・ボイドという学者(この人の名は若島正の本を読んでいてもたびたび出てくる)の解釈で、「最終的に語り手はシェイド一人に収斂していく」というものである。それはどうやらこの本なのだが、自分じゃ読めないから、もうちょっと詳しい内容を知りたいと思っていた。

 それが先日、柴田+沼野『200X年文学の旅』をめくっていると、当の研究書が話題になっていた。どうやらボイドさんは予想以上に過激である。
《ボイド自身はこれまで「シェイド派」の筆頭だったわけですが、この本で大々的な転向宣言をしています。すなわち――
(1)長詩「青白い炎」を書いたのは、シェイドである。
(2)「注解」を書いたのはキンボートであるが、キンボートの鈍感な感性では不可能なはずの繊細な発想や展開もそこには見られる。これは、シェイドの娘ヘイゼルの霊が、キンボートを助けているからである。
(3)そればかりか、詩の最後の一行を書く前に殺されたシェイド本人も、やがて霊となってキンボートを助けている。》pp51-2

 徹底的な読み込みと考察の果てにこのような説が導かれているそうで、上の紹介を書いている柴田元幸が続けて言うのには、『青白い炎』を注解したボイドの本じたいが、『青白い炎』のパロディのようにさえ見えてくるとのことである。ちょっと興奮してしまった。ボイドの「発見」した新説は、キンボートのゼンブラなのか。わたしの現在の下宿のすぐ前に、ひどく騒々しい遊園地がある。
 考えてみれば、設定上、作者がいて注釈者がいることになっているPale Fire を『青白い炎』として翻訳した際に、その日本語版『青白い炎』の読者にとって、それこそ設定上、訳者「富士川義之」は、「ジョン・シェイド」「チャールズ・キンボート」と同列の存在になってはいないか。

 連想と飛躍からなんとなく思い出したのは、「日本ではシェイクスピアの翻訳が何種類も出ていると聞いたイギリス人が、『私たちは一種類のシェイクスピアしか読めないのに』とうらやましがった」という話だが、私が言いたいのは、「イギリス人は本当に性格が悪いのではないか」ということではなくて、みんな『青白い炎』を読もう、ということである。


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