趣味は引用
青山南『英語になったニッポン小説』(1996)
英語になったニッポン小説
集英社

 なにしろ類書がない。これは、英語に翻訳された日本現代小説の書評集である。扱われるのは吉本ばなな、両村上、山田詠美、李良枝、小林恭二、高橋源一郎、島田雅彦、津島佑子、金井美恵子、そして椎名誠の各英訳作品。
 翻訳というもとから不完全に決まっている作業のなかで、言語間の誤差のために作品が別のものに変貌していく様子を、青山南は細かく読む。英訳のされ方を考えることが、原著のもつ日本語作品としての特徴を浮かびあがらせることになり、結果、非常に読みの細かい作品論が(まるで「ついで」みたいに)できあがっているのが面白い。
 ある時は訳者の健闘をたたえ、ある時は無神経さに抗議する。もちろん誤訳をあげつらうような野暮なレベルではないが、あちこちで少なくない量の文章が削除され、勝手な改行が入り、文章が別の方を向いているのが発見される。些細な点にこだわってこその翻訳者だろうに、とでも青山南は言いたげだ。その主張をまとめれば、「作者が意図的にやってることは気を遣って訳してくれ」ということになるだろうか。どこまでも真っ当で、どこまでも難しい。
《わけのわからないものを読者にわけのわかるものにするのは、翻訳の仕事ではない、と思う。わけのわからないものであるということが読者にもわかるようにするのが、翻訳の仕事なのだ。》

《村上春樹のなかでは、原著があって翻訳があるという考えかたは、きっとないのだ。日本語版と英語版のふたつのヴァージョンがある、と認識しているのだ。
 となると、村上春樹の本は、いまだまともに翻訳されていないということになる。》

《『岳物語』の英訳は原著よりもはるかに端整な仕上がりになっていると思う。原著と英訳のちがいを緻密に検討すれば、文章における推敲とはどういうものなのか、の勉強にもなりそうだ。
 しかし、である。端整な文章ほど椎名と縁のないものはないのだ。椎名の文章は端整な文章からもっとも遠いところにある。》

 このような事実を突きつけられると、今度は逆に、外国語作品の日本語訳がものすごくあやふやなものなのかもしれないと思えてきてこわい。日→英の翻訳より英→日の翻訳の方が細やかな出来のようにみえてしまうのは、それこそ日本語しかできない自分の傲慢だろうから。
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