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ヴォネガットのこと その9

『スローターハウス5』では戦場の異常事態だった個人の無名化が、均質化していく世の中で静かに進行している。戦場と普通の社会がつながりつつあるのを描こうとしたのが60年代後半のヴォネガットだったのではないか。構想された作品は結局完成せず、『スローターハウス5』と『朝食』に分かれた。
(再掲・作品年表・人様のものだけど)
『猫のゆりかご』より3年あと、『スローターハウス5』よりは3年前にあたる1966年に発表されたトマス・ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』(The Crying of Lot49)は、画一化の方向で整備されていくアメリカに反体制秘密郵便結社〈トライステロ〉なる異物を投げ込むことで多様性を維持できないか、そんな期待を花火にして打ち上げた小説だった(と私は読んだ)。主人公のかつての愛人、一代で莫大な財をなした奇矯な実業家ピアス・インヴェラリティがビジネスのコツとして語っていた信条が、小説の最後半で思わせぶりに示されている。
“Keep it bouncing,” he'd told her once, “that's all the secret, keep it bouncing.”
《「いつもバウンドさせておくんだ」と彼は言ったことがある――「秘訣はそれだけ、ボールのように弾ませておくこと」》

 平面では何もかも死ぬ。ヴォネガットとピンチョンは同じことを問題にしている、というのは、15歳の年齢差があるとはいえ、両者とも同じ国の同じ時代を生きていたのだから当然のことであるだろう。なにしろ私はカウンターカルチャーなるものに無知なので、こういう符号にいちいち感じ入ってしまう。
 画一化から排除された者たちを繋げるネットワークが実在するのか、主人公の妄想に過ぎないのか、明確な解答を出さないところに『競売』の肝はあって、この作品はシステム化された社会を撹乱してくれる〈トライステロ〉の出現を心待ちにする雰囲気を濃厚に孕んでいたが、それから7年後の大作『重力の虹』になると、「システムを撹乱する分子」さえももっと大きなシステムの一部に組み込んでしまう巨大な力が全体を覆うことになる。
 ピンチョンの大長篇が出版された1973年は『朝食』の出た年でもあった。一方のヴォネガットは、平面化する世の中にあって従来の「個人の価値」が否応なしに下落するのなら、価値のとらえ方それ自体を革新できないかと考える。まだ続くのか。

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