2005/02/03

ヴォネガットのこと その8


 世界は平らになりつつある、それはいけないことだ、という考え方がヴォネガットの根っこにある。
 ところで『朝食』には、繰り返し繰り返し、プラスチックが登場する。それは科学によって生まれたこの上なく便利な素材であり、それこそ規格化された商品の大量生産を可能にする物質そのものであると同時に、どこまでも続く平面を暗示する。

 暗示する、と書いたが、これは何も、社会はプラスチックのように平面的になりつつある、というような「もののたとえ」として言及されるだけではない。実際そこらじゅうにあふれているプラスチック製品は、『朝食』の世界でももちろん重宝され、あちこちで公害を引き起こす。
(観光名所だった「聖なる奇跡の洞窟」は、地下水に混じったプラスチックのせいでめちゃめちゃになる。キルゴア・トラウトが汚染された川に入ると、両脚がプラスチックに包まれコーティングされてしまう)
 小説の後半でヴォネガットは、プラスチックの分子式をイラストで示したうえで、どこまでも続くこの構造を小説に取り入れたと述べる。

《このポリマーの連続性を認めるために、わたしはたくさんの文章を「そして」や「そこで」ではじめ、たくさんのパラグラフを「……その他いろいろ」で終わらせることにしたのだ。
 その他いろいろ。
「すべては海のようだ!」とドストエフスキーはさけんだ。わたしにいわせれば、すべてはセロファンのようだ。》

 皮肉なのか自棄なのか、変な人である。ブツ切れの断片を並べて小説をつくるのは何もこれがはじめてではないのだが、このようにして作者が自分で(しかも作中で)述べてしまう意図はともかく、これらの書きぶりから私は自動的に『猫のゆりかご』を思い出してしまう。
『朝食』で世界を画一化する役割を担うプラスチックは、ヴォネガットにとって、『猫のゆりかご』で地球を凍りつかせた化学物質「アイス・ナイン」と同じ捉え方をされているように見える。どちらも社会を平面にしてしまうのだ。ヴォネガットはこういった均質化・画一化・平面化を、止まらない流れとして受けとめている。

[…続く]