2005/02/03

ヴォネガットのこと その6


『チャンピオンたちの朝食』(1973)の舞台は、それが書かれた当時のアメリカになった。主要な登場人物はふたりいて、自動車販売業を営む裕福なドウェイン・フーヴァーと、貧乏小説家のキルゴア・トラウト。
《これは、臨終の近いある惑星で起きた、ふたりの痩せて孤独な、かなり年とった白人の出会いの物語である。》


 何の接点もないふたりが、「アート・フェスティバル」の会場で遭遇するまでの道筋をひとまずのストーリーラインとして進行する本作は、全篇が382の短い断片で構成され(数えた私も暇である)、ふたりをめぐるエピソードのほかに、この小説を書き進めつつある作者「わたし」のコメントと、大量のイラストが頻繁に挿入される。宇宙人その他のSF的道具は、合間合間に紹介される「トラウトが書いた小説」の中で使われるにとどまる。
 こういうことができるので断片形式は便利だというか、こういう作り方をするから小説が断片化してしまうというか、それはどちらでもいいとして、では『チャンピオンたちの朝食』(以下『朝食』)が普通の現代小説なのかというと、ヴォネガット自身が「もとはひとつの作品だった」というだけあって、この作品にはたしかに『スローターハウス5』と同じ影が落ちている。
『スローターハウス5』の後半で、作者は次のような言葉を洩らす。
《この小説には、性格らしい性格を持つ人物はほとんど現われないし、劇的な対決も皆無に近い。というのは、ここに登場する人びとの大部分が病んでおり、また得体の知れぬ巨大な力に翻弄される無気力な人形にすぎないからである。いずれにせよ戦争とは、人びとから人間としての性格を奪うことなのだ。》

 典型的には、整列させられたアメリカ兵捕虜のひとりがいきなりドイツ兵に殴り倒される場面があった。彼には、どうして自分がそんな仕打ちを受けたのか理解できない。
《「なぜおれを?」と、男は警備兵にいった。
警備兵は男を列に押しもどした。「なぜお前を? だれだろうと同じだ。」と、その兵はいった。》

 戦争には個人がいないことになっている。一兵士には名前がない。被害者は名前まで奪われる(ドレスデン爆撃の死者が「13万5千人」というのはただの数字であり、しかもカウントには大きな幅がある)。大量殺戮の現場は、人間を究極的に無名化する場所としてあらわれる。
 そして、戦場から遠く離れていながら、同じく個人を無名にする方向へ進んでいるものとして現代社会を描いたのが『朝食』なのである。