--/--/--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2005/02/03

ヴォネガットのこと その2


 形式についていえば、ヴォネガット作品の特徴とされる「断片的な構成」の始まりは、それこそ初期の『タイタンの妖女』『母なる夜』から見られるが、ここらへんではまだ、断片化は「短いエピソードの積み重ね」以上のものではない。大きな話を小さな章立てで語る、といえば足りる。

 次作『猫のゆりかご』(1963)は、主たる舞台を南の島に置いて、そこの社会の歴史や成り立ち、信仰されている架空の宗教といったディティールを、無数の断片によって並べている。章と呼べるほどのまとまりはない。本の厚さははむしろ減ったのに、断片の数は一挙に増えた。大きな事件(人類の滅亡!)も、その原因となる科学者のエピソードも、やはり細かい部品の積み重ねで語られる――のだった、たしか。

 このような作品は読者にどんな印象を与えるか。
 ふたつの断片のあいだ、「書かれたこと」と「書かれたこと」のあいだに私は、「書かれなかったこと」の存在を強く感じる(感じた)。この作家は、「書いていないこと」に、「書いたこと」と同じか、それ以上の重さを担わせる書き方を選んでいったように見える(最近復刊された処女長篇『プレイヤー・ピアノ』は、「何でも書こう」としている作品なので全作でいちばん厚い)。

「書かないことで語る」方法を見つけるのは、ヴォネガットにとって最大の課題だった。彼が作家になっていつか書こうとしていた対象、それを書くために作家になったとみずから語っている現実の題材は、しかし、どんなに書いても、どう書いても書ききれない巨大な出来事としてある、自身の戦争体験だったからである。

(発表順についてはこれなんか参照
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。