趣味は引用
「トーキョー/不在/ハムレット」の続き

 劇場の舞台は、スリットの入った壁を境にして前方と後方に分かれていた。前方で芝居が進行したかと思うと後方にスポットが映り、別の場所・時間の芝居が行われる。そっちはスリット越しなので客席からよく見えないのだが、役者のそばにカメラマンもいて、撮られている映像が壁の前面、上の方に設置されたスクリーンにライブで映される。スリットから覗いたりスクリーンを見たり忙しく、ずいぶん凝っていると私には思われた(それとも、演劇ってこれくらい普通なのか?)。
 そんな空間で、体感時間では30分に1回くらいずつ、ストーリーの流れのなか突然、役者たちがめちゃくちゃに体を動かす。
 どうにも表現しようがない。跳び跳ねたり高速で手足を曲げたり、転がったりセットを叩いたり。すごいスピードで走り回る人もいれば、えらくゆっくり歩く人もいる。何人もが急に後ろに倒れて、絶妙のタイミングで支えてもらう。なめらかに動いていた人が今度はがちがちになったり。てんでバラバラな気もするが、揃っているように見える瞬間もたしかにある。

 きのうも貼った宮沢章夫自身の日記で、12月頃からニブロールというグループが演出に参加しダンスの稽古をしている様子を読んではいたものの、ダンスなんて、いわゆる整った、きれいな動きのものしか知らなかったから、このめちゃくちゃさにはたまげた。変な動きを組み合わせ続ける生身の人間が、何人も舞台の上にいた。
 人はそんなふうに動けたのか、というのが第一印象だが、別に普通の人体では無理な動きをするわけではない。機械っぽい要素はあるけどそれだけでもない。繰り返しもただのパターンではないようだった。ただの「好き勝手」ではないのは、だって、自由にふるまうだけでは、人は自分の体をたいして奔放には動かせないに決まっているからだ。目の前のこの人たちは、考えて練習して、不自然に動いている。そう思うと笑えてもくる。

 ダンスが始まると舞台全体に映像が投射され、スリットの壁も床も大きなスクリーンになってしまう。もとからあった上方のスクリーンにはまた別の映像が流れている。音楽も大音量で鳴っていたに違いないが、ぜんぜん憶えていない。なんか、必死で見ていた。若い役者の中にもひとりだけ踊れない男がいて、「あなたも踊ればいいじゃない?」と誘われると、絶望的な声音で「俺にコンテンポラリーは無理だっ」と叫ぶのだった。ものすごく同情した。


――と、下手な感想を書いていたら、あのダンスの記憶が薄らいでしまって激しく後悔した。もう1回見たいなあ。当日券あるらしいけどなあ。

 ずいぶんいろんなシーンが詰め込まれていたので、2時間40分があっというまに過ぎたとは思わない。でも、「実は4時間経っていた」といわれても納得しかねない。時計だけが時間を計るものさしではないなあとロビーをふらふらしていたら、さっきまで舞台の上にいた役者たちが普通の格好に着替えてどんどん帰っていくのだった。
 登場しない主人公・秋人の恋人を演じた「田中夢」という役者がとくに印象深かったので名前を憶えておくことにした。ここの画で浮いている人である。

 ちなみに半年前に小説「秋人の不在」を読んだとき、作中のどこにも出てこないゆえにどこにでも遍在していることになっているらしい「秋人」を私は「アキト」だと思っていたが、今回の本公演を見てはじめて、そうではなかったと知った。この名前は「アキヒト」と読むのだ。物騒じゃないか。
「秋人の不在」は『不在』のタイトルで発売中。



不在
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宮沢 章夫
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