趣味は引用
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
四方田『空想旅行の修辞学』の続きというか

『空想旅行の修辞学』には、冒頭に解題ふうのエッセイが付いている、と書いた。
 論文を書いていた当時の関心を振り返り、それからこれまでの来歴を語るそのエッセイの書きぶりは、ありていに言って、非常にかっこいい。昨日、論文の生硬な文体がいい、と書いたが、それとまた別の才能なのか同じものなのか、なんにしろ、「ノスタルジックな調子」はつねに私のツボである。
《なるほど現在のわたしは、スウィフトに三年の間情熱を注ぎこんだ二十四歳のときのわたしとは決定的に異なっている。とはいうものの、両者の間に一度たりとも忘却の川が流れなかったことも事実であって、わたしは逸脱に逸脱を重ねながらも、つねに最初の著作であるこの短くない論文に、強い精神的絆を感じてきたのである。今、久しぶりに読み返す作業のなかにあって、わたしはかつての自分が慣れ親しんだ思考の経路が、周囲の風景を変えながらもいまだに自分の裡に流れていることを、ある共感をもって感じている。と同時に、それが現在の自分であるならけっして書くことのないはずの書物であるという事実をも、認めないわけにはいかない。》P16

 過去の自分をいくらか懐かしみながら、現在の自分とは別の、しかし切っても切れない他人として尊重するようなこの姿勢から、私はなんとなくトマス・ピンチョンを連想した。
 大作『重力の虹』のあと11年間にわたる沈黙を続けたこの作家は、1984年になって突如、習作時代に書いた短篇をそのまま収録した作品集『スロー・ラーナー』を出版した。冒頭には長い序文が書き下ろされていた。そこでピンチョンは、ざっくばらんな口調で思い出を開陳しながら、容赦なく自作の欠点をあげつらうのだが、それらを書いた過去の自分への共感までを隠そうとはしていない。
《いまやぼくは、その当時のぼくであった青年作家に関して、ある次元の明晰さに到達したふりをしている。というのが、この男をぼくの人生から締め出してすましているわけにも行かないのだ。しかし何らかの、今のところは未開発の科学技術を通じて、彼に今日出会うとしたら、何と安らいだ気持で彼に金を貸してやったり、それどころではない、通りへ出て行ってビールを飲みながら昔の話をしたりもすることだろう。》「スロー・ラーナー(のろまな子)序」志村正雄訳


スロー・ラーナー (ちくま文庫)スロー・ラーナー (ちくま文庫)
(1994/12)
トマス ピンチョン

商品詳細を見る
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。