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柴田元幸『死んでいるかしら』(1997)
死んでいるかしら
新書館

 柴田元幸のエッセイをはじめて読んだのは(←ああまた過去を振り返っている)たしか高校の同級生が『生半可な学者』を貸してくれたときだったと思う。一方、この人が翻訳した小説で最初に読んだのは『Sudden Fiction2 超短篇小説・世界篇』でほぼ間違いないはずだが、当時は訳者の名前なんか気にしてなかったから、エッセイと翻訳のどちらが先だったかは憶えていない。その後いまにいたるまで訳書はいろいろ読んだし書評集も出るたびに買っているのに、2冊目の単独エッセイ集だった本書『死んでいるかしら』はなぜか読んでいなかった。おれはミーハーでさえなかったのか?
 個人的な懐疑は措くとして、感想の書きにくい本だ。いい意味で「立ち読みでもよかった」。「自分を消す」ことが翻訳の基本姿勢だとあちこちで述べる柴田元幸が自分のことを書いたエッセイは印象の薄いものになる――とかまとめるのは相当胡散臭いが、どうしても、本なり音楽なり、何かを紹介した文章の方に気が惹かれる。そんななかで抜群に面白かったのは、ニューヨークに実在したコリヤー兄弟の死にざまを扱ったものだった。
《一九四七年三月下旬、世捨て人同然にひっそり暮らしてきたこの兄弟が、半月あまりにわたって新聞紙上を賑わせることになる。三十八年のあいだ、他人が入ったことはたった二度しかなかったコリヤー邸から、二つの死体と、総計一二〇トンに及ぶ物品が発見されたのである。》

 世を疎んじて引きこもった兄弟の隠された生活。巨万の富を蓄えているという噂。侵入者を防ぐため屋敷じゅうに張りめぐらされたワナ。当時の新聞・雑誌の記事を追いかけて柴田元幸がまとめたこの奇体な物語はせいぜい6ページしかないのだが、ちょっと方向を変えればそれこそミルハウザーでも短篇に書きそうな要素が詰まっている。
《結局二階の窓から屋敷に入った警官が、死後およそ十時間経ったホーマー・コーリヤー(当時六十五歳)の死体を発見した。暴力の形跡はなく、手元にはしなびたリンゴの芯が一個あった。だが、弟のラングリー(六十一)が発見されるには、毎日数百~数千人の野次馬に囲まれながらの、二週間以上にわたる捜索が必要であった。》

 これが実話なんだから、興味をお持ちの方がいらしたら続きは立ち読みしてください。

 もうひとつ引用。
The Guiness Book of Innovationという本によると、開発当初は重さ百キロを優に超え設置に二人がかりで三日かかったという留守番電話がようやく小型・実用化されはじめて、とりわけ喜んだのは正統派ユダヤ教徒たちであったという。なぜか? 敬虔なユダヤ教徒たるもの、安息日(ユダヤ教の場合土曜日)には仕事を休み、体を浄め、掟どおりの食事をし、神をたたえその御業に感謝せねばならない。そしてこの戒律を厳格に遵守するなら、安息日には電話だって出ちゃいけないのである。でも留守電が出るぶんには、「機械のやることだから」OKというわけだ。》

 このほかにもユダヤ教徒にまつわるピソードがいくつかあって、これはおそらく、若き日の柴田元幸がもともとはユダヤ系アメリカ人文学のオーソリティになろうとしていたからだろう――というのは、やはり新書館から出ている三浦雅士『村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ』に入っていたインタビューから推測されることなのだが、こっちの本こそ立ち読みでよかった。


村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ
三浦 雅士
新書館 (2003/07/10)
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