--/--/--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2004/09/28

コルタサル『悪魔の涎・追い求める男 他八編』

木村榮一訳、岩波文庫(1992)

 これもまたラテンアメリカ作家の短篇集。ガルシア=マルケスはコロンビアでコルタサルはアルゼンチン、ただしどちらもヨーロッパに「脱出」して、コルタサルに至っては生涯をフランスで暮らしたという。

 なにしろ続けて読んだため素朴な比較になるが、『エレンディラ』の諸作品が現実-幻想の継ぎ目のない接地点をつくる方向にすべての努力を注ぐ印象なのに対し、コルタサルの短篇のいくつかは、作中でその継ぎ目を一旦前提したうえでどれだけ上手にそこを飛び越えられるか実験しているように見受けられる。そのせいか、ファンタジーというより一種のナンセンスに近い設定が多い気がするのだが、難解な感じはぜんぜんないし、「この内容をこんなにすらすら読めていいのか」と思うくらい読みやすい。翻訳者うますぎ。 以下、全部じゃないが感想を。

「続いている公園」
本を読んでいる登場人物がいつの間にか本の中の世界に巻きこまれている。そういうのをメタフィクションというのなら、約2ページという短さからいってもこれが完成形では。

「占拠された屋敷」
正体不明の音のために屋敷を放棄せざるをえない、妙に達観した兄妹。淡白にして濃密な関係。

「夜、あおむけにされて」
夜、あおむけにされる。

「悪魔の涎」
《ものを見る時はそこに嘘がふくまれるとあらかじめ仮定しておけばよい。あとは、見ることと見られることをはっきり区別したうえで、対象にまつわりついているもろもろの衣装を剥ぎとってやればいいのだ。》
かくて写真が動きだす。

「南部高速道路」
高速道路が渋滞してちっとも動かなくなり、ドライバーたちが周囲と連帯し待機状態を耐えしのぐ。食物・水を他のグループと取引し弱った老人を介抱しているうちにいくつも季節が過ぎる。

「ジョン・ハウエルへの指示」
観劇していた主人公が幕間に舞台へ連れて行かれて役を演じさせられることになるが、当惑と反抗心のあまり彼はしてはいけないことをしたくてたまらない。

「すべての火は火」
なんてかっこいいタイトル!

 表題作の「追い求める男」、天才ジャズ奏者が生涯なにものかを追い求める姿と、友人である伝記作家が彼を追い求める姿がダブらされて(ただし重ならず)描かれる長めの作品は、巻末の解説を読まずともこの人にとって重要なテーマを扱っているんだろうと了解されるシリアスな出来で心に残ったが、自分はどうしても「バカバカしさ」の方を求めて小説を読んでしまうのだった。


悪魔の涎・追い求める男 他八篇―コルタサル短篇集 悪魔の涎・追い求める男 他八篇―コルタサル短篇集
コルタサル (1992/07)
岩波書店

この商品の詳細を見る

コメント

非公開コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。