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2004/10/18

04/10/18

《次の言葉を待ってくまを見上げるが、もじもじして黙っている。ほんとうに大きなくまである。その大きなくまが、喉の奥で「ウルル」というような音を立てながら恥ずかしそうにしている。言葉を操る時には人間と同じ発声法なのであるが、こうして言葉にならない声を出すときや笑うときは、やはりくま本来の発声なのである。
「抱擁を交わしていただけますか」
 くまは言った。
「親しい人と別れるときの故郷の習慣なのです。もしお嫌ならもちろんいいのですが」
 わたしは承知した。》川上弘美「神様」

 まえに読んだことのある川上弘美と穂村弘の対談では、「神様」のラストをめぐる両者のやりとりがたいそう面白かった。
 どちらにも納得できて、すると同じことを言っているのか、いややっぱり違うのか、といろいろ考えさせられる。それくらいじゃないと作者に喋らせる甲斐がない。ここで引用した部分の続きになる。
穂村 でも、少なくとも読者は『神様』での「くま」との抱擁の中に、ある種の完全性を見ていると思うよ。
川上 だけど、わたしが書くのはいつも一瞬のことだよ。
穂村 だから、われわれの現実も含めて一瞬のことではあるんだけど、現実ではそのあとで携帯やメールの履歴を見てショックを受けるということがありうる。フィクションにおいては、なにしろ相手は「くま」だから、ある種の永遠性とともに、その瞬間が引き延ばされる感じがするのね。センセイにしても、死んでしまうことで、その瞬間が永遠に定着するというところに感情移入があると思うんだけど。
川上 そうなのか。それはまだわたしの書き方が下手だということなんじゃないかな。「くま」がなにを考えているのかわからない怖い奴だということをけっこう書いたつもりだったんだけど。だからこそ、もしかして「くま」は人間を食べようとしているのかもしれないということを脇に置いて、抱擁した一瞬がすばらしいわけで、それは携帯にどんな履歴が残っていようと、一瞬愛し合えればいいよねというのと一緒。》

 いまさらながら書き写していて恥ずかしくなるのだった。

 川上弘美の〈理想主義との縁の切りっぷり〉がかっこいいこの対談のタイトルは、「恋人に期待なんてしない」という(「ユリイカ」2003年9月増刊号)

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